忍者ブログ
主に政治と経済について、思いついたことを語ります。リンクフリー、コピーもフリー
Admin | Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

データで斬る世界不況 エコノミストが挑む30問

 この手の経済本で、煽り倒すようところはほとんど見当たらない。表題どおりデータで斬っているからたいそう世界経済がよく分かる本である。金融危機が去り、本年09年3月を底にした経済回復期にあって、マクロの経済対策が妥当であるかないかをあえて見たい向きには、手ごろな経済本である。

 問題数が30あり、それに対して答えている形式をとっているのも非常に面白くて野心的な試みでもある。金融政策についても的確な記述があり、考えを巡らせるのに非常に役に立った。娯楽でマクロ経済を楽しんでいるような筆者のような者にはうってつけである。

 巻末にIS-LM曲線から見た(グレゴリー・マンキューのマクロ経済学入門を参考に使っている)解説もあって、流動性の罠のときの金融政策の有効性が説かれている。中々よく出来ている。現実を眺めるために経済学を適切に使い込んでいるのよ。掲載されている30問に対しての自分なりの答えを出すのも面白いし、異説を組み立てるのもいい。(‘-^*)/執筆者は小峰隆夫,岡田恵子,桑原進,澤井景子,鈴木晋,村田啓子、である。

 

株価下落が大恐慌の引き金になったといわれる。しかし、それ以前の政策が間違っていた。フーバー大統領は、歳出を増やした。これを補うため、歳入を増やすための増税を織り込んだ緊縮財政策をとる。株価も暴落し、資産デフレが、バランスシート不況を齎し、実体経済が悪化して失業率が高まっている不況期に「緊縮財政」増税策を緊縮に異常な「信念」を抱くフーバーは採ったのである。これが当時の米国経済を壊滅的、破壊的な経済作用を導入する。

 33年には、全国的に銀行の破綻が波及する。30年から31年にかけて年平均600行の銀行が破綻、32年に小康状態、そして33年に爆発的に増えて破綻行が3500行にも及ぶことになる。

 29年以前に、当時の米国FRBは、株価上昇に危機感を抱き、金利を大幅に引き上げていた。28年2月に3・5㌫から4㌫、5月には4・5㌫、そして7月には5㌫へと三度にわたって引き上げた。引き上げた当初は株価は上昇。が、しばらくして、これが株価の暴落につながった。また、海外との金利差が縮小し、金が大量に流入することになる。ここが金本位制の制度の弱点である。金本位を維持するならば、米国は金利を引き上げるのではなく、緩和して、金の流出に努めるべきであった。ともあれ、この金融早急な引き締め策によって、株価はピークのときから7分の1に下落したのである。金融政策がいかに経済的な影響が大きいかの現在への教訓にもなる。

 綿花の価格下落30年から33年に間に40パーセント下落であった。このような情勢から米国の農民達が地方から澎湃としてデフレ物価の下落に対して反対を表明。ルーズベルトはこれに同意する。デフレでは農業経営が出来ないという切実な政策的要求が、大統領を動かしたのである。

 

 米国の大恐慌は29年から33年までの失業率が25パーセント、デフレーションが10㌫台の物価下落率であった。賃金を得ているものたちには、社会不安、解雇の不安は与えても、デフレーションは、実質の賃金は上昇しているのだから、現実的な危機は無かった、と推測もできる。

 デフレーションは、債務者を苦しめる。なぜなら、実質的な金利負担は、物価下落によって上昇するからである。それは債務国家にも動揺の負担を与える。そのため、ケインズは、国家の負債を軽くするため国際的な共同の基金の設立を提案していた。これがIMFの原型であるとされが、このことの指摘も本書にはあって、興味深い。

  デフレが債務者に負担を強いるという点をフィッシャーは、ルーズベルトに「貨幣錯覚」として説いた。名目の金利は、経済の状態によって姿を変えているが、それに人々は気が付かないということである。

 この亡霊の姿は、実質の金利は、名目の金利からインフレ率を引くことで導き出されるが、実生活ではこれについてほとんど気づくことがない。

 債務者は、経済の状態が良くないため負担が増え借金を返済するように行動する。借金の返済は、債務者にとって正当な行為であるが、マクロ全体で見ると、通貨の市中の銀行などへの金融機関への通貨の滞留を齎す。なぜなら、モノ・サービスが売れないから、新たな資金需要が減少する。このような市中での通貨量の不足は、物の価値の下落を意味する。つまりデフレの圧力が全般に及ぶのである。デフレと景気の上昇も伴えば(但し、景気の回復感には乏しい景気上昇である)、逆にデフレと不況が伴えば、さらに劇的なデフレへと不況を誘導することになる。

 そのほかに本書では、ルーズベルトとケインズのやり取り、その政策の採用の可否とルーズベルトの逡巡、さらに、ルーズベルトのリフレーション政策への果断な転換が今日的な意味でも参考になることが描かれている。エクルズ、フィシャー、ケインズ、そのほか多くのマクロ経済学者が様々に政策当局に提言し、政策当局とやり取りしてるのが興味深い。

 フーバー不況ならず、37年38年にルーズベルト不況がやってくるが、それも、財政政策の緊縮と金融の引き締めによって起こされたのといえることが指摘されている。政策として失業者1000万人に対する失業対策など、労働者、勤労者の生活、雇用の政策の実態などが詳述されている。とかくマクロの経済本は経済事象を扱うときにデータの記述だけに終わることが多い。それだけに終始せず、人々の困窮とそこからの脱出への死力の有様も描がこうというしている。

 細かいことだが、秋山の通貨の引き下げ、「近隣諸国窮乏」政策であるとの説には納得がしがたい。それは「固定相場制」であればいえるのであって、31年にイギリスと日本が離脱、33年に米国の金本位制からの離脱、あるいは通貨切り下げへ踏み切ったフランスとイタリアは経済が良くなっており、さらに35年には金本位からの離脱をフランスは果たすのであるから、近隣諸国窮乏へとはならないのではないかと思うが・・・・。

 国際的な金本位制の制度的欠陥が指摘されいないので、なぜ米国の株価暴落が、世界恐慌へと波及していったのかが説明不足なのが残念である。とはいえ経済学を適応した手軽に読める普及版の「歴史本」は、はなはだ数が少ないので、筆者にとっては嬉しい一冊である。

中村 隆英
Amazonランキング:169129位
Amazonおすすめ度:


昭和恐慌と経済政策
中村隆英
1922年ジェノア会議の通貨に関する決定
震災手形の発行
田中義一内閣の瓦解
蔵相 三土忠造の旧平価による復帰の拙速の指摘
ドイツ レンテンマルクの採用と中央銀行による通貨発行の制限の設定によるハイパーインフレの沈静化
英国 チャーチル(蔵相)の金本本位制旧平価での復帰論とケインズの旧平価復帰の過ちのマクロ経済学からの正当な指摘
米国 ハーディング大統領の「正常に返れ」論による1919年の金本位制採用の底流思想

 ケインズの債務国家に対する「救済」論
英国は一次大戦で、莫大な戦争費用を賄う為、戦債の発行をし主として米国に戦債を負った。

 ドイツは巨額な賠償金を負った。この債務負担を猶予すること。またドイツ銀行の通貨発行を一定の制限下におくこと。レンテンマルクによって今までの通貨単位を切り上げたことによってドイツの驚異的なインフレが終息することになった。

 金解禁『金本位制への復帰』と平価切下げ・切り上げ解禁論
石橋湛山、高橋亀吉らの旧平価復帰より新平価での復帰についての正当な指摘

 主な登場人物と事件
蔵相井上準之助と民政党浜口雄幸、幣原喜重郎
金流出と三井財閥の金融機関のドル買い円売り
それに対する民衆の非難
日本銀行総裁深井英五
ロンドン軍縮会議
安達謙蔵
海軍軍令部加藤寛治
満州事変
陸軍統制派軍務課長永田鉄山
陸軍参謀石原寛治と関東軍
武藤山治
養蚕農家の窮乏と中小企業の危機
銀行の倒産と不良債権
インテリの失業
蔵相高橋是清の金本本位制からの脱却とリフレーション政策による景気回復

政友会犬養毅
5・15事件
2・26事件

以上、後に修正など加える予定、いつになるかは分からないが。

メモ書き
 米国サブプライムローンによる金融危機と実体経済への波及経路の詳細がCDO、CDSなどの複雑怪奇な金融市場の実態通して懇切丁寧に説明してある。
 
 商業銀行と投資銀行(証券会社)の自己資本比率とレバレッジ比率の違いによる区別など
 
 自己資本率とレバレッジ率はそれぞれ逆数の関係であることの指摘
 ローン担保証券とCDS(債務保証)の規模の異常な大きさ(4500兆円ほどもあるということが最近明らかになった)とその逆レバレッジによる資産価格下落による投売りと負債返却のための資産売却の加速による資産価格の急激な下落とその逆の急激な上昇の根拠の説明がなされている。
 
 資産価格がバランスシート(資産と債務の構成)の悪化を招き、企業と家計は、資産価格の下落による負債の増価によって、家計は消費を切り詰め、企業は設備投資の抑制し、負債の返却を優先する。資産価格の下落によって、本来の投資より借金返済を優先する債務デフレへ道が始まることになる。
 
 これは、竹森俊平の「資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす」にある、資本主義が本来持つバブル性の指摘にも通じる問題意識であるが、岩田はそれを内部の投資銀行のレバレッジ率の高騰から説き起こす。CDSのこれから引き起こす経済問題は、米国オバマ政権とCDS購入者であるであるEUの金融機関にも波及しかねない第二次金融危機を示唆する。 岩田らしい理詰めの説明がある。

 註)CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の売り手は、保証料と引き換えに、社債やCDOなどに債務不履行が発生したときに、これらの証券の保有者が被る損失を肩代わり(保証金を支払う)する。
岩田 規久男
Amazonランキング:1023位
Amazonおすすめ度:

による。
 
 ワルラスの法則から世界の貯蓄過剰とデフレ、長期金利の低落、日本以外の諸国の不動産、株のバブル関係、原油高の関係を経済学者のカバレロの理論から説明。
 カバレロの議論はバブルが必要論に落ち着くが、バブルの不必要論としてロゴフの議論を取り上げるあたりが、竹森の「公平」さを示している。
 東南アジア新興国の97年通貨危機以降の貯蓄の増大と米国へのファイナンス、東欧諸国の貯蓄不足と海外からの直接投資の流入による経済発展の限界と可能性も、理論的に説明されている。米国「長期」金利の低下と新興国の貯蓄が投資を上回ることによる米国へのファイナンスとの関係も述べられる。米国低金利と住宅バブルの関連、住宅バブルは低金利の要素以外で起きたとする「説」も公平に検討している。
 経済学者ロゴフの「低成長」の是認の理屈の解説。などなど。

 竹森や岩田はデフレスパイラル期に陥る危険のあった00年代のデフレとその波及のあり方を出来るだけ分りやすく一般の素人にも説明出来た者たちである。これらの著書の経済論は、今回の世界恐慌を「陰謀論」からかけ離れて、また、経済認識の誤りから過剰な煽動、その逆の平時と緊急時の区別をつけない素人経済論からの危機の指摘を煽動と捉える「俗論」からも自由である。29年の政界恐慌、日本の昭和恐慌からの脱却方法も弁えている。その適応範囲は、かなり広いものに渡る。
 

 
「スミスによれば、「財産への道」は「徳への道」と矛盾することがある。富と地位への志願者たちは、「財産への道」を歩む中で、道徳的腐敗を起こさなければ、より大きな富や、より高い地位を獲得できない状況に立つことがある。このとき、多くの人間が「徳への道」を踏みはずす。実際、富と地位への志願者たちは、しばしば、虚偽、陰謀、結託、贈賄、暗殺などを企て、彼らの出世の邪魔になる人間を排除しようとする。多くの場合、これらの企ては失敗に終わり、本人自身の人生を台無しにする。しかしながら、これらの企てに成功した者は、富と権力によって自分の過去の犯罪を隠蔽することができる。このようにして、富と地位への志願者たちによって、正義が侵犯される恐れがある。
 
 5 許される野心と競争
 
 フェア・プレイの精神
 
 今やスミスが、どのような野心が許されると考えていたかは明らかであろう。スミスが容認したのは、「徳への道」を同時に歩む「財産への道」の追求だけである。このことは、あるべき競争の形に関するスミスの考え方とも一致する。
 私たちは、より大きな富や、より高い地位をめざして活動するとき、同様の野心をもつ他人と競争しなければならない。スミスは競争を否定しない。しかしながら、スミスは、競争はフェア・プレイのルールに則ってなされなければならないと考える。
 富と名誉と出世をめざす競争において、彼はすべての競争者を追い抜くために、できるかぎり力走していいし、あらゆる神経、あらゆる筋肉を緊張させていい。しかし、彼がもし、彼らのうちの誰かを押しのけるか、投げ倒すかするならば、観察者たちの寛容は完全に終了する。それは、フェア・プレイの侵犯であって、観察者たちが許しえないことなのである。(『道徳感情論』二部二編二章)

 私たちが、他人よりも大きな富をもつ、あるいは他人よりも高い地位につくためには、二つの方法がある。第一の方法は、自分が努力し、勤勉に働き、能力や技術を高め、収入を節約し、その他の英知や徳を高めることである。それは、自己規制と自己研鑽によって、他人よりも秀でた位置に立つという方法である。第二の方法は、他人の足を引っ張ることである。
 他人の状態を悪くすることによって、自分の状態を相対的に優位にするという方法である。
この方法においては、手段として、虚偽、陰謀、結託、贈賄、暗殺などが用いられる。
 右の引用文からもわかるように、公平な観察者が是認するのは、第一の方法だけである。
 
 第一の方法は、フェア・プレイを意味し、他人の生命、身体、財産、および名誉を侵害しないこと、すなわち正義に適った競争を意味する。競争がフェア・プレイのルールに則って行なわれるならば、社会の秩序は維持され、社会は「見えざる手」に導かれて繁栄するであろう。一方、第二の方法は、フェア・プレイの侵犯であり、公平な観察者が認めない競争であ
る。それは、自分の利益のために他人に対して有害な行為を行うという、非難に値する行為である。重要なのは、後にスミスが『国富論』で問題にする「独占の精神」が、まさしく第二の方法による富の獲得を意味していたことである。競争がフェア・プレイのルールを無視して行なわれるならば、社会の秩序は乱れ、「見えざる手」は機能せず、社会の繁栄は実現しないであろう。
 
 したがって、スミスが容認したのは、正義感によって制御された野心であると結論づけられる。それは、フェア・プレイのルールを守ること、胸中の公平な観察者が認めない競争を避けること、「徳への道」と「財産への道」を同時に歩むことであるともいえる。これらは、すべて同じことを意味する。スミスにとって、正義感によって制御された野心、および、そのもとで行なわれる競争だけが社会の秩序と繁栄をもたらすのである。」



岩田 規久男
Amazonランキング:440447位
Amazonおすすめ度:


岩田規久夫の本で、かなり古い出版だが、岩田の著作は「理論」的で、論理を重視しているので、旧さということが減価することは稀である。かなり旧いというのは、98年次の日本銀行法施行時の出版物であるからだが、かの速水優日銀総裁、インフレターゲット導入論者のスーパーヒーロー中原伸之東燃名誉会長などの言辞が取り上げられている。途中に池尾和人慶応大学経済学部教授の構造改革原理主義者の言辞も批判的に取り上げられている。ちなみに池尾は、日銀審議員入りの自民党案が民主党によって不同意となったお方。
 で、本著に対する些細なコメントだが、これがすこぶる面白かった。池尾の言辞に対する批判を引用、それから特に興味深かった円高の章を特に長くなるが引用。明確な根拠が示され、為替レートの変動が丁寧且つ詳しく述べられていて、中々に楽しめる。とはいえ、飽くまで長期に渡る観点からのことだろうが・・・・。


池尾和人慶応大学経済学部教授は、「日本経済が現在の長期停滞から脱却するためには、産業構造の転換が不可欠で
あるが、これまでの需要支持政策はむしろ必要な構造調整を遅らせてきた。財政赤字の累増の
結果、財政支出による需要政策が取りにくくなってきている中で、従来の政策路線を維持しよ
うとする狙いが現下の量的緩和論にはあると見られ、それによってもたらされるのは、日本経
済の回復ではなく、一層の財政規律の喪失だけである」(同著117ページ)という。この認識の
下に、「大掛かりな産業構造調整を実施していくとすると、縮小すべき産業から拡大すべき産
業に労働力の大規模な移動が必要になり、一旦は雇用が失われ、失業が増大するという過程を
くぐり抜けることが不可避となる。こうした過程を恐れ、当面の雇用を守るために、産業構造
の転換が回避されてきた。当面の雇用維持要求に対して、『ノー』といえないのがこれまでの
『日本株式会社』 であった」T22ページ)という。
 しかし、果たして、需要支持政策である超低金利政策やゼロ金利政策は、構造転換を遅らせ
るであろうか。
 日本の構造改革を遅らせてきたのは、既に銀行などの金融機関について述べたように、規制
の撤廃や媛和の遅れ、護送船団方式の金融行政、情報開示と会計制度の不備、杜撰な会計監査
制度などであり、これらの要因が絡み合って、不良債権をはじめとするさまざまな解決すべき
問題が先送りされてきたのである。また、公共投資を中心とする不況対策も、建設産業の効率
化を阻害することによって構造調整を遅らせる要因になつている。
 日本経済を非効率にしている規制を撤廃・緩和し、時価会計を導入して金融機関や企業の実
態を公開させ、正確な会計監査をしなければ投資家によって監査法人が訴えられて損害賠償を
命じられる、といった仕組みを作れば、金融緩和政策は経済主体を差別することなく、構造改
革を図ろうとするすべての企業の努力を支援するものである。この点については、原田泰『日
本の失われた10年』(日本経済新聞社)が次のように的確に述べているので引用しておこう。

 日本経済の「ソフトランディングが避けられないのであれば、不良債権を抱えた銀行や不良
債権の元となっている企業のように困ったことを自ら盛大に行って大きく因っている人を助け
るのではなく、理由によらず因っている人を少しずつ助けた方が、経済効率の低下やモラル・
ハザードの蔓延を引き起こすことがより少ないはずである。不況期の金融綾和はそのような政
策である」(75~76ページ)

 さらに、原田氏は90年代の不況が長引いた理由について次のように述べている。「貨幣政策
の失敗(によって不況をもたらしたこと-引用者注)が非効率な事業の拡大や、金融不良債権処理の先
送り政策、株価・地価の維持政策などの誤った政策を誘発し、その結果、経済構造が非効率に
なつた」(76ページ)のである。


2一有力な円高対策は何か
 ゼロ金利政策下の「非不胎化」と「不胎化」は同じではない
 金融政策委員会・政策決定会合での多数意見は、ゼロ金利政策の下では、為替介入資金を不
胎化するか非不胎化するかで効果に変わりはないという。果たしてそうであろうか。
 
 更新が遅れているので、ここ一ヶ月ぐらいで読んだ本を掲載。予想外に面白く、楽しめた順に並べてみた。詳しい書評は、例によって時間が出来てから後程という事で・・・・。
 適当にコメントすると上野 泰也の本書は、エコノミストに対する当方の偏見を払拭してくれた「良書」。財政政策、金融政策無効論を説き、構造改革によって景気が回復するという「楽観論」を展開した斉藤精一郎などその他、格差から目を疎けない市井は分るもののデフレに対する策が「制度」、あるいは社会システムによることだけを目指す金子勝、デフレがよいデフレであるという擬制の社民主義者、内橋克人などとかいう経済「学者」なんどより、ずーっとマクロ経済「学」の理解の上に経済、金利「予測」している。中でも「格差」型景気という用語が、デフレ圧力のあるうちでの景気として踏まえるところ、マクロの経済政策を織り込みながら長期では供給側の視点で見ること、短期では需要と供給でみていく論点の持ち方など優れていると思う。 
 マクロ経済の基本を無視せず、下手な経済学者の経済論より的を得た指摘がある。金融政策、財政政策、景気を構造的ではなく循環的な視点から眺めるまともな経済観、為替、長期金利、株との関係、上場企業と中小企業の従業員数と景況感DIから見た消費という需要分析、経済指標の見方も達者な見方が覗える。著者上野は有効求人倍率と失業率を比較検討しているが、失業率は「遅行」指数であり、また有効求人倍率は、一致指数と見るという点など、「景気」を見るのに参考になることが縷々指摘してある。

 田中秀臣は、まともな経済学とはお金ばっかりではなく、インセンティブによる経済性や「機会費用」(選択による犠牲を費用、コストとみたもの)であり、「弱肉強食」の市場主義を説く学問とはまったく違った学問なんだと力説。
 こういうものなんだよん、ということをそれぞれの分野で示していて清々しくも面白い。ネタばれになると読まれなくなるといけないので適度に内容紹介すると・・・。
 経済成長論のない財政再建論、社会問題、最低賃金の引き上げ法、年金未納問題などなどは根底的な問題解決にはならない。そのことも再確認並びに教えてくれる。全体の経済成長が様々な社会的困難をも解決するという設定は、大づかみに言ってポール・クルーグマンの米国の様々な医療制度の問題、年金問題も経済によって解消できるという視点と同じところをみた気がする。日本の問題や話題を扱っているので、身近な話題で参考になるわね。
 アレーと思ったのは、オリンピックの後には、不況になるの項目。変動相場制とドルペッグなどの現中国が採用している固定相場制では、積極財政政策の効果はかなりの差が出るのではと思うが、どうなんだろう。
 
 野口旭と田中秀臣の共著「構造改革論の誤解」は、いささか古いので掲載は今更な、ちゅう感じだが、本書が刊行された2002年2月は小泉賛歌の一億総ヒステリーの状態であった。そのような「異論」の差し挟みを許さない風潮の中での本書によるデフレ放置「批判」の意義が充分に見えてくる。彼らは、構造改革を批判しているのではなく、デフレ下でのそれを批判しているのであって、デフレの脱却が無ければ、構造改革そのものが解体、あるいは不徹底な「改革」に落ち着くことを懸念しての発言であったのである。それだけ説得力のある批判だったということである。
 小泉、安倍の改革路線が終了した時点でも、読まれるべき正論。不良債権が何故処理されたかが縷々と現実説明がなされる。不良債権は処理されたのではなく、実質経済成長率が改善しデフレ圧力の低下による「景気」が回復して、株価が上昇したために貸し渋りも解消したのである。
 社会科学は現実の説明が内在的に出来なければ異説というよりただの有害なデマにしかならない。デフレ対策無き、都市と地方「格差」、企業間格差を問題視するデマ経済学の陥穽の指摘の原資がここにある。

 猪瀬 直樹は構造改革一辺倒の論者だと思っていたが、「構造改革論の誤解」の推薦者でもあるとは知らずじまいだった。

 で、これもいまさらながらだが、「日本国の研究」「続日本国の研究」を読んでみた。道路関係四公団民営化推進委員会の猪瀬は改革に着手するが、道路公団の改革に一定の成果を収めながらもデフレ圧力といわゆる道路族、国土交通省の省益(石原伸晃)によって中途半端な改革に終わらされた。

 2005年(平成17年):10月1日 日本道路公団分割民営化に伴い、同公団の業務並びに権利及び義務は、東日本高速道路株式会社・中日本高速道路株式会社・西日本高速道路株式会社及び日本高速道路保有・債務返済機構に分割して継承され解散となった。

 簡単に言うと道路公団を二つに分け、二階建てにしたのが「改革」の不徹底だった。高速道路の保有者、道路の開発と業務運用者を分けて、保有者と開発は国、運用者を民営化した。所有者から民間の運用者が借りて利益を上げ、その利益を保有者に返還するという改革となったわけだ。が、国が道路を所有するということは、そこに省益を認めるということであり、また、開発も日本高速道路保有・債務返済機構が担当するということになる。保有者が債務保証を国に対して要求できる可能性を残したのである。

 当時、石原伸晃大臣は、料金収入を新規高速道路建設にまわすことを容認する姿勢であった。

 石原大臣は新会社が新たに借金をして建設することと料金収入を建設費に回すことはそんなに違わないとの主旨を述べていた。

 だが両者は全く違う。新会社による資金調達は金融市場での資金調達である。金融市場では、会社の財務もプロジェクトの収益性も厳しく査定される。査定に合格しなければ資金調達は出来ず、高速道路も作られない。料金収入を建設資金にまわすのでは、査定が行われず、無原則に不採算路線を建設し続けてきたこれまでと何ら変わらないことになる。

 

上野 泰也
Amazonランキング:6146位
Amazonおすすめ度:


田中 秀臣
Amazonランキング:5366位
Amazonおすすめ度:


野口 旭,田中 秀臣
Amazonランキング:346280位
Amazonおすすめ度:


猪瀬 直樹
Amazonランキング:34755位
Amazonおすすめ度:


猪瀬 直樹
Amazonランキング:29608位
Amazonおすすめ度:

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
マクロ経済学の学習
政府、日銀の政策、マスコミの報道に疑問を持つならここを読め
リフレ政策を発動せよ
最新コメント
[10/17 coach outlet]
[10/15 ティンバーランド ブーツ]
[10/11 モンクレール ever]
[10/11 コーチ バッグ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
解 龍馬
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
フリーエリア
組織の中の人

忍者ブログ [PR]

Designed by