主に政治と経済について、思いついたことを語ります。リンクフリー、コピーもフリー
堂目 卓生
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「スミスによれば、「財産への道」は「徳への道」と矛盾することがある。富と地位への志願者たちは、「財産への道」を歩む中で、道徳的腐敗を起こさなければ、より大きな富や、より高い地位を獲得できない状況に立つことがある。このとき、多くの人間が「徳への道」を踏みはずす。実際、富と地位への志願者たちは、しばしば、虚偽、陰謀、結託、贈賄、暗殺などを企て、彼らの出世の邪魔になる人間を排除しようとする。多くの場合、これらの企ては失敗に終わり、本人自身の人生を台無しにする。しかしながら、これらの企てに成功した者は、富と権力によって自分の過去の犯罪を隠蔽することができる。このようにして、富と地位への志願者たちによって、正義が侵犯される恐れがある。
5 許される野心と競争
フェア・プレイの精神
今やスミスが、どのような野心が許されると考えていたかは明らかであろう。スミスが容認したのは、「徳への道」を同時に歩む「財産への道」の追求だけである。このことは、あるべき競争の形に関するスミスの考え方とも一致する。
私たちは、より大きな富や、より高い地位をめざして活動するとき、同様の野心をもつ他人と競争しなければならない。スミスは競争を否定しない。しかしながら、スミスは、競争はフェア・プレイのルールに則ってなされなければならないと考える。
富と名誉と出世をめざす競争において、彼はすべての競争者を追い抜くために、できるかぎり力走していいし、あらゆる神経、あらゆる筋肉を緊張させていい。しかし、彼がもし、彼らのうちの誰かを押しのけるか、投げ倒すかするならば、観察者たちの寛容は完全に終了する。それは、フェア・プレイの侵犯であって、観察者たちが許しえないことなのである。(『道徳感情論』二部二編二章)
私たちが、他人よりも大きな富をもつ、あるいは他人よりも高い地位につくためには、二つの方法がある。第一の方法は、自分が努力し、勤勉に働き、能力や技術を高め、収入を節約し、その他の英知や徳を高めることである。それは、自己規制と自己研鑽によって、他人よりも秀でた位置に立つという方法である。第二の方法は、他人の足を引っ張ることである。
他人の状態を悪くすることによって、自分の状態を相対的に優位にするという方法である。
この方法においては、手段として、虚偽、陰謀、結託、贈賄、暗殺などが用いられる。
右の引用文からもわかるように、公平な観察者が是認するのは、第一の方法だけである。
第一の方法は、フェア・プレイを意味し、他人の生命、身体、財産、および名誉を侵害しないこと、すなわち正義に適った競争を意味する。競争がフェア・プレイのルールに則って行なわれるならば、社会の秩序は維持され、社会は「見えざる手」に導かれて繁栄するであろう。一方、第二の方法は、フェア・プレイの侵犯であり、公平な観察者が認めない競争であ
る。それは、自分の利益のために他人に対して有害な行為を行うという、非難に値する行為である。重要なのは、後にスミスが『国富論』で問題にする「独占の精神」が、まさしく第二の方法による富の獲得を意味していたことである。競争がフェア・プレイのルールを無視して行なわれるならば、社会の秩序は乱れ、「見えざる手」は機能せず、社会の繁栄は実現しないであろう。
したがって、スミスが容認したのは、正義感によって制御された野心であると結論づけられる。それは、フェア・プレイのルールを守ること、胸中の公平な観察者が認めない競争を避けること、「徳への道」と「財産への道」を同時に歩むことであるともいえる。これらは、すべて同じことを意味する。スミスにとって、正義感によって制御された野心、および、そのもとで行なわれる競争だけが社会の秩序と繁栄をもたらすのである。」
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