医療経済については無知だが、医療経済は単純化すれば、不完全競争、あるいは、公共財・サービスとしてみるのが、見る方向としては適切なのだろうか?
75歳以上が加入する後期高齢者(長寿)医療制度で、現役世代が負担する支援金が2008年度の1人当たり平均3万1000円から、7年後の15年度には4万6000円と約1・5倍に上がることが、厚生労働省の試算で分かった。民主党の厚労部門会議で明らかにした。
新制度の費用は1割を75歳以上の保険料、4割を現役世代からの支援金、5割を税金で賄う。75歳以上の保険料は、15年度に現在より38%上がる試算が明らかになっている。
現役世代の支援金は08年度に3兆5500億円で、現役世代人口1億1300万人で割ると、1人当たり3万1000円。
15年度には支援金が5兆300億円へ増える一方で、現役世代は1億900万人に減るため、1人当たりでは4万6000円となる。
支援金を合わせた現役世代の保険料は08年度から15年度の7年で、健保組合28%、国民健康保険(国保)23%、政府管掌健康保険(政管健保)26%、共済組合で28%上がると試算されている。
これは重要な報道なので、掲載。財政についてはほとほと素人なのだけど、健康保険は健康保険料でまかなうのが原則なのではないか?国家の財政が厳しいということで「小泉構造改革」の「聖域無き」削減によって毎年社会保障費2200億の削減の結果である。小泉を支持していた有権者連中は、この点、何を考えていたのだろう?身近にいる小泉支持の連中を見ると、政策とその効果など眼中になく、ファンでしかなかったんだが・・・。やたらな安定志向か、小泉、安倍支持のコアな部分では、上場企業の経営者のほとんどと平均的リーマン、オーサンの支持率が高かった。こいつらの4割が積極的支持だった。ま、中身ないからなマクロで見るという視点がない、こいつらに不況もそれほど直接の関係ないし・・・。
土台おかしかったのだわな、「構造改革なくして景気回復なし」など、内容逆だわ。「景気回復なくして構造改革なし」、だ。大幅な金融緩和による底辺層からの平均賃金上昇による「内需」拡大と平行しながら進めなければ、構造改革も生きるものではない。しかも、その構造改革も政治官僚機構の民営化、人員削減と効率化の改革と地方への大幅な財源委譲と権限分与による効率化が先行されるべきだったのが、道路公団の民営化と郵政の民営化を先行させ、しかも、公団の民営化の中身間違えて、二階建て方式に結実収斂させて終わりだし・・・・。国、地方にかかわらずその役人たちの仕事の大部分こそが民営化出来るし、特に地方の役人の仕事など民間が十分にこなせる仕事に過ぎない。機密の漏洩が問題ではあろうが、その点は抜きにして考えても、地方公務員や特殊法人の事務職員の給与はあまりにも高すぎる。ボーナスのまったく無い派遣社員の給与で十分にやっていける程度の仕事の内容であるだろう。高給はほんの一部の職員で十分にやっていける。その方向の改革志向さえみせずに終息。
民間に犠牲を強いるだけで、自らの政治官僚機構と必要以上の人員、必要以上の高給の保障など自らのへの改革の痛みを放擲した「改革」だったのである。
「自由化」の方程式の解法の間違いが、ここへ来て露呈したといえるのだろう。
後期高齢者(長寿)医療制度の改革の前提に、健康保険の一体化が必要。負担の公平化も考慮するべきなんだろう。政治的に困難だろうが、これはしないと後々やばいのじゃないのか。
財政学者の土居丈朗は従来の形に戻すのは疑問形、それはもう少し議論をしてからという立場。日経のBIZより。土居の議論でいくと、地方分権、財源委譲していけば、かえって地方の負担が増えることになるのかもしれないということにもなる。
川渕孝一・東京医科歯科大学大学院教授
国民皆保傾制度ができて45年。国民すべてが平等に医療を受けられるようにと、政治家も厚生労働省のお役人も頑張ってきたと思う。
でも、日本人が裕福になる中で医療現場を見渡すと本当に日本の医療は平等なのかという疑問が出てきた。 平等には、「機会の平等」「結果の平等」の二つがあるが、医療では結果の平等が大事だと思う。
でも、よく考えてみれば、医療の質は本当に全国均一なのかどうか。また、機会の平等は保険証一つで保証するといっても、結局は乗った救急車によって運命が決まってしまう。それを医師に尋ねると、「当たり前じゃないか」と言われる。看護師さんたちも僕の講演を開いて、「実はそうなんですよ」とうなずく。 東京には病院がたくさんあるけど、地方では病院を選べないんです。厚労省は「量的拡大から質的充実の時代に入った」なんていうけど、日本にはあまねく機会の平等があるわけじゃない。
団塊の世代はあと15年もすると、75歳になる。この年齢になると、有病率とか受療率がハネ上がる。そこそこ社会に貢献してきたこの人たちが、日本の医療水準、医療環境を知ったとき、あぜんとすると思いますよ。僕らはこんなところで死ぬために頑張ってきたのかと。みすぼらしい死に方をせざるをえない局面も多々あるでしょう。
最近、もう一つ特徴的なのが、医師不足の問題。自治体病院などは、建物こそ最近の建て替えブームでそこそこきれいだけど、肝心の医者がいない。小児科や産科が閉鎖状態という病院が散見される。僕は2005年に『日本の医療が危ない』 (ちくま新書)という本を書いたが、最近の状況を見て、それ見たことかと認識を強めた。勤務医の沈黙の抵抗というか、職場放棄が始まっている。
厚労省は病院の集約化ということで、そこそこ医者がいる病院に、患者を集めようとしている。一見正しく見えますがそこにいる医者はますます忙しくなってしまう。そうなると、「いち抜けた」「開業医になります」という連中が出てきて、天下の自治体病院の中が、スカスカになってしまう。
私はある市立病院の再建に関与しているが、数年前まで黒字だったのに、今や大学病院が医者を送ってこないため、存亡の危機に直面している。
厚労省はつい最近まで、「医者は余っている」「足りないはずがない」と言い続けてきた。その認識を前部は定員削減を続けてきた。医者を増やすと医療費が増えるというのが厚労省の認識なんです。ところが、この仮説はあやしい。医療費は増えているのに、医者が圧倒的に足りない。
それでも″大本営″は「医者が足りない」とは認めない。「偏在しているだけだ」と。絶対に誤りを認めないんです。 言うまでもなく、開業医には手厚く診療報酬の点数がついている。税引き前で3000万円くらいの年収。一方の勤務医は年齢にもよるが、個人所得1200万円くらい。夜勤は多いし、それでは割に合わないとなる。
最近では、医師会の方々も多少は救急の応援部隊を出すとか言っているが、依然として努力する医者は報われない。 もう一つ、見落としてはならないのは、厚労省が本気になって病院を潰し、病床数を減らそうとしていること。その手段が、看護料基準を使った兵糧攻めであり、療養病床の廃止・縮小なんです。病院を潰すことで、医療費を削ろうとしている。
悲しいかな、あまりにもたくさん潰れてしまって、必要なときに入れる病院がなくなってしまう、 2025年になって終の住処が足りないなんてことになるかもしれない。