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 2.26事件で、中橋は、高橋是清を襲った中尉である。

 「中橋中尉は近歩三の「危険分子」だった。だからこそ奥保夫(元帥奥保肇<やすかた>の長男)連隊長は昭和九年三月に彼を満州にひとり転属させた。ところが二年も経たない十年十二月に中橋は近歩三にまた戻ってきた。
 帰ってきたときもその様子は以前と一向に変りはなかった。近歩三の中少尉は全員東京駅のホームにならび中橋を迎えたが、彼は一同に一瞥をくれただけで、やはり迎えに きた栗原と握手したあと二人連れ立ってどこかに立去った。まだまだ油断がならぬと、 今井一郎少尉は思った。そのあと中橋が第七中隊長代理になったと聞いたとき、今井は びっくりし、危ない危ないと思った。- この詰も「相沢公判」で紹介している。
 いったい「危険分子」として追放した中橋をだれが近歩三に戻したのか。みんなふし ぎに思うところで、このへんが、異動人事に介入できる陸軍省の有力人物を想像させるのである。


 しかも、中橋が相変らず栗原や磯部らとつき合っていても近歩三の幹部将校はこれを 放置していた。
 

 昭和八年の中橋の実行計画当時の第七中隊長だった宮永義文元大佐の談話。
「中橋中尉が近歩三に帰ったことについては、陸軍省なり参謀本部に操った人がいたんだろうと思う。
 

 当時の中橋中尉の危険人物なることは将校全員の周知するところであった。私は(連付け佐官として」中橋の中隊長代理の適切ならぎるを痛感し、連隊の先任中佐岡崎清三 郎氏にたびたびその旨を進言した。(岡崎氏談話。「官永からは聞いていない。自分は十年 八月の異動で行ったばかりだったから、連隊長に直接云ったのではないか?」)
 他の幹部(大隊長、連隊副官、先任中佐)も各々園山連隊長に意見を具申したことと 思われる。しかしその努力は不十分であった。
 奥前連隊長が、中橋に関し園山連隊長に何等の申し送りをしなかった責任は最も重大である。
 園山連隊長は近衛師団より中橋を追放するよう努力すべきだった。しかし、これは師団長、陸軍省の関係事項なのですぐには実現しないにしても、彼をせめて第七中隊付か ら免じて連隊付とすべきであった。これは容易に出来たはずである。
 中橋が第七中隊付になったのも、各中隊長が彼を危険視して自隊に配属されるのを拒 否し、また彼を大隊副官とするのも各大隊が拒んだからではあるまいか。園山連隊長に 断固たる処置がなかったのである。ここにおいて、先任中佐、連隊副官、各大隊長の補 佐がますます不十分だったといえる。
 私(宮永)は連隊長に対したびたび意見を具申する一方、私が転任(満州)する十一 年二月上旬まで七中隊将校下士官に面接して中橋の動向の真相把握に努めたが、彼らは こと中橋に及ぶとロを鍼して語らず、遂に不得要領に終った」
 

 近歩三の機関銃隊長を経て、事件当時近衛歩兵第二旅団司令部付だった蓮岡高明元少佐の談話。
「中橋中尉は満州にもっと長くいるだろうと思ったが突然帰ってきた。まだ危険性があるので兵隊を自由に出来ない部署、たとえば、連隊本部付か何かにしたほうがいいと園 山連隊長に意見具申を前後三回ぐらい行なった。
 中橋は栗原の影響を強く受けているように思われたので、彼が私のところにくるたび に、栗原とはあまり親しくするなといったものである」
 
 事件後、連隊副官となった吉岡圭二元少佐の談話。
「中橋が昭和九年春に満州に転属になったのを私は配属将校になって外部で聞いたが、 近歩三のためによかったと思った。だから中橋が十年暮に帰ってきたと知ったとき、要 注意人物なのにどうして帰したのだろうと疑問に思った」
 

 七中隊付だったが事件直前に歩兵学校に行った棚橋新太郎元少尉の談話。
「昭和八年九月ごろ、七中隊付になって間もなく他の三少尉と共に中橋に呼ばれ、赤坂 の料亭『享楽』で瀕起の話を聞かされたことがある。われわれはご趣旨は分るが実行は 慎重でなければならな、いから賛成しかねると恐る恐る答えた。中橋は、そうか、といっ ただけだった。説得と思われるのはこの一回だけだった。それ以来、私が週番士官につ いたとき、軍刀と拳銃を手放さないようにした。それは今井(松下)見習士官から、中 橋が万一兵隊を連れ出すようなときは中橋を斬るか撃つかしてでも出動を阻止する、も し失敗したら自決するつもりで週番勤務の際は軍刀と拳銃とをそばに置いている、という話を聞いたからだ。
 十年十二月に中橋が七中隊長代理としてくることが分ったとき、これは大変なことになったと思った。同中隊の今泉義道少尉に中橋の前歴などを話し、注意と警戒とを怠ら ないようにしろといった。私は歩兵学校に行ったが、七中隊のことが心配だったので、 二月十一日の祭日に様子を見に近歩三に行った。今泉少尉に遇ったので中橋の動静をた ずね、万一のことがあっても君は中橋に云われて出てはいけないと云いおいた。今泉少 尉は、大丈夫です、出ません、といっていた。しかし、二・二六で今泉は結局中橋に連 れ出されてしまったのだが、私も七中隊に居たら、その危機を切抜けられたかどうか疑 問である」
 中橋はこのように近歩三の中で危険視され、警戒されていた。ある程度は監視もされ ていた。しかし、連隊は事前防止のために何らの手も打たなかった。
 中橋と栗原とは相似たものがある。それは「騎児」という点である。両人が親しかっ たのもその共通点からだろうが、中橋のほうが栗原に従っていたようである。

 中橋基明中尉は、かなりのおシヤレであった。近歩三関係の人たちの話を聞こう。
  一中隊、木島隆一元少尉の談話。木島少尉は今泉義道、大高政楽、林八郎(幾二)少
尉らと同期生で、その士官候補生時代には中橋が教官だった。
「中橋中尉はハンサムでスタイリストで、派手な性格の人だった。たとえば将校外套の裏地を総赤にしていた。敬礼をすると外套の裾が翻って裏地の緋色がちらつく。
  当時、将校たちはよく料亭に行き芸者を侍らせて騒ぐようなことはしたが、ダンスホールに行くようなことはなかった。ところが中橋中尉は違っていて、フロリダなどにも よく通った。そういう人柄だったので、中橋中尉が昭和維新のことなどを口にしても浮 き上がった感じで、私はむしろ反撥をおぼえたものだった」
「士官学校予科を修了し近歩三へ転属になった時の士官候補生教官が中橋さんだった。
 教官はきびしい反面、今でいうプレイボーイのようなところもあり、山王ホテルやそ の他のダンスホールなどへよく出かけていたようだ。緋色の裏地を張ったマントをなび かせて、一人で将校集会所で練習していた。
 私が士官学校本科にいる間に中橋さんは渡満し、私が見習士官として近歩三に戻ると 中橋さんも満州から帰ってきた」(今泉義道元少尉談)
「七中隊の初年兵は満州帰りの中橋中尉に昭和維新論を三回ほど聞かされた。あとで中尉が、分ったか、ときくので、分らない、と答えると、それには頓着せず話をつづけた。
外套の裏地は赤く、指揮刀は当時としては珍しく細身の日本刀を仕込んでいた」(七中 隊初年兵談)
 この外套とは将校マントのことである。将校服装には規定があるのだが、中橋はそれを無視してマントの総裏地を緋色にした。勢い立った青年将校の伊達ぶりである。
 

 だいたい中少尉はかたちのいい様子をしたがるもので、たとえば帽子の前を山形にピンと立てて瀬爽と見せたりする。しかし、中橋のマントはお洒落のためばかりではなかったようである。中橋中尉の実弟武明氏によれば、それは多分に二〇三高地における乃木将軍の赤マントを意識したものであったらしい。赤マントは自ら敵の標的となり、しかも負傷した場合血の色を敵からも味方からも気取られぬようにするためだったという。
「皆のためなら、何時でも死んでやる」というのは中橋中尉の口ぐせだった。
「中橋中尉はきびしい中隊長(代理)で、検閲のおりなど、連隊での講評がよくても、 中隊での中橋中尉の講評はさんざんだった。満州での経験がそのようにいわせたのかも しれない。雨の日は精神訓話があるが、昭和維新の詰も四回ぐらい聞いたように憶えて いる」(七中隊、三浦作次元上等兵談)
「中橋中尉は冷たい人であまり喋らないが、話し出すと熱っぼくなった」(七中隊、伊 藤健治元一等兵談)
 しかし、表面は同じようでも、渡満は(昭和九年三月)前と、満州より復帰(昭和十一 年一月十日帰任)後とは中橋に変化があった。
 中橋の実弟武明氏の談話。
「満州から帰ると、一週間位の休暇があった。あれほど遊び好きの兄がどこへも連れて
いってくれない。せっかくの休みなのに家にとじこもったままだった。何事か苦しんで
いる様子があった。栗原中尉に打明けられ、下士官も兵も新顔の七中隊で如何にして部
下を掌握するか非常に悩んでいたのだと思う」

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