神道の教義は、常人の「正直」によって成立する。神道の神を祭る、客人としての神をもてなす祭祀から開放された儀礼、そしてその基礎にある共同規範が、「日本」人を日本人として仕向けさせる媒体になったのである。天皇の統治者としての側面が表、祭祀者としての側面が裏にある。この裏を自律させる方向が神道教説の発生を促した。
「神の国のそのすがた北畠親房の『神皇正統記』は、次のような有名な書き出しから始まる。「大日本(おおやまと)は神国なり。天祖(あまつみおや)初めて基をひらき、日神(ひのかみ)(天照大神)ながく統を伝給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神団と云也。」このくだりは、戦前・戦中のわが国においては、まさに日本が「家系、血統、或ハ特殊ナル起源ノ故ニ」「他国二優ルトスル主義」を初めてそれとしてはっきり規定した文言として称揚され、いわゆる皇国至上の考えを端的にあらわすスローガンとみなされてきた。
確かに、『日本書紀』神話の伝統を背負うわが国の統治のありようを、「我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国と云也」と定義しきった点は、『神皇正統記』の大きな特徴であるといえる。近世の国学者や、儒学者のある一派の人々は、北畠親房のこの定義を、神の子孫が治めるという神聖性、および王朝の交代がなく囚が安定していること、という二つに要約し、それをもって日本が他国に優れていることの根拠とした。親房のいう「異朝には其たぐひなし」は、神国イコール他国に優るという主張として読まれてきたのである。
だが、第一章で見てきたことからもわかるように、神であるということを直ちに神聖なもの、優れたもののイメージに置き換えてしまうのは、日本の神のもつ奇(くす)しく異しい、底知れぬ豊かな奥行きを、痩せ枯れた抽象へとすり替えてしまうことになる。繰り返しいうように、日本の神は、真にして善なる超越者などという単純なものでは決してない。神は、のどかな田園風景と集中豪雨で泥につかった田畑とが、あるいは愛らしい飼い猫と敵の喉笛に喰いつく化生の猫とが、同じでありつつ異なるという連続と断絶のうちに、いわば景色の反転それ自体としてあらわれている何ものかである。その限りで、神は私たちの日常の道徳の延長上にとらえることはできない。神国イコール他国に対する優越という理解には、神を道徳的な善なるものにみなそうとする近世・近代的な先入見が強く作用しているといわざるをえないのである。『神皇正統記』の記述を注意して読めば明らかなように、この文言のどこにも、神国であるということは正しく優れていることだとは書いていない。他国よりも優れているとする読みは、神とは正しく優れたものだという先入見から出てくるに過ぎない。
そして、北畠親房の考え自体も、神国の優越といった主張とは、おおよそかけはなれたところにあるのである。 では、親房のいう神国の本当の姿とは、一体どのようなものだったのであろうか。
この国の初発のありようを国常立尊が方向づけ、天照大神の命によって天孫が統治するという形でこの図の形は確定した。『正統記』冒頭の語る神国の規定はこのようなものであった。この文言を皇国の尊貴性を説くものと解する読み方は、この箇所を、国家の統治形態のゆるぎなきことが神によって約束・保証されていることを意味するものと読む。それは、王朝が一定しない他国(とくに中国)と比べたときの、わが国の「団体」の磐石さを示すのだとされる。天皇による統治の絶対性を賛美するこの理解の仕方は、しかし、逆説的な言い方になるが、実のところ全く天皇の立場に内在しないがために出てくる誤解なのである。
親房は、南朝の重臣として、天照大神の正統たる天皇を、天孫降臨の際天孫に随侍して降った天児屋命(あまのこやねのみこと)の嫡流たる藤原氏が補佐する為政(摂関体制)のあるべき理念を追究した。南北朝動乱のさ中で、すでに実質を失っていた天皇の為政の復興のために奔走していた親房が、「日神ながく統を伝」えた天孫降臨神話の中に読みとろうとしたのは、神話の記述によって天皇の統治が保証されているなどという気休めではなく、天皇が統治するということが一体何を意味しているのかということであった。そのことの意味を正しくとらえ、それにかなった為政が再び実現するならば、天地の初めに示されたこの国のあるべきありようは必ず復活するはずだと、親房は考えたのである。
親房はいう「代(よ)くだれりとて自ら苛(いやしむ)むべからず。天地の始は今日を始とする理なり」と。「神国の権柄武士の手に」前掲『太平記』〉帰してしまっている今日においても、神と天皇とが根源的において一であるというこの団の基本のあり方は変わっていない。「神道に違(たが)ひては一日も日月を」戴くことができないという、この国のあらかじめ約束されたありようにかわりはないのであり・・・・。(中略)
三種の神器と「正直」この国は、神を祭ることでのみ、国として保たれるのだ。親房は、このように考えた。三種の神器の象徴の内に彼が読み取ろうとしたのは、まさにこの点、つまり天皇が神を祭ることでこの国が治まるということの実質的な内容なのであった。
親房はそれを、「政の可香にしたがひで御運の通塞あるべし」ととらえる。そしてこの「政の可否」の基準を示すのが、三種の神事なのである。三種の神器は、為政のありようとして次のようなことを象徴するとされる。「此三種につきたる神勅は正く国をたもちますべき道なるべし。鏡は一物をたくはへず私の心なくして、万象をてらすに是非善悪のすがたあらはれずと云ことなし其すがたにしたがひて感応するを徳とす。これ正直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源なり。此三徳をあわせ翕受(あわせうけ)ずしては、天下のをさまらんことまことにかたかるべし。」
荒ぶる神の跳梁する混沌を、治まれる世へと反転させた動力は、正直・慈悲・智恵の三徳であった。「天地の始」における景色の反転がこの三徳によってなされたということは、衰えた今日の世にあっても、この三徳が為政の上に実現されるならば、ただちに乱世を治世へと反転することができる。「今日を始とする」と説く親房の信念は、このようなものであった。
親房は、三徳の中でも特に、正直を重視する。正直は、天照大神そのものである鏡に付された徳である。『神皇正続記』 には、『倭姫命世記』 や『宝基本記』 に記された「正直を先とすべき」 ことを示す天照大神の託宣が三つ載せられている。 日月は四州をめぐり、六合を照すといへども、正直の頂(いただき)を照すべし。神はあまねく世界を照覧する。しかし、神が最も親愛するのは、正直な人々である。正直であるとは、「左を左とし右を右とし」て「太神につかふまつ」る、平凡で素朴な人々のありようである。当たり前を当たり前として行う人々こそが、忠実に神の祭りを全うすることができる。当たり前を当たり前にということこそが、為政の根本なのでもある。
神を祭ることに忠実な人々のありようとしての正直こそが、神団の為政の根本原理であると親房は考える。最も深く神を引き受ける人々は、平凡で素朴な人々である。それゆえ、平凡で素朴な人々の当たり前の生活こそが、神を祭る団である神国の本当の内実である。平凡な日常世界の持つ重み、奥行きを真に知る者こそが、神を祭ることを全うできるのである。