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遠山 美都男, 平林 章仁, 加藤 謙吉, 前田 晴人, 早川 万年 / 講談社
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 古事記は、物語として面白く、「国罪」「天罪」が、どうやって出来てきたのかに興味があったので目を通したことがある。それについて当時の勝手な解釈が、自然宗教的な読み方でいいのではないかと思っていた。が、なぜスサノオの狼藉が、起きたのか、それをどう解釈すれば、その時代の当時の観念の中で、古代人が見ていたのか推測が出来なかったのが実際であった。
 歴史の読み方として、当時はマルクス主義的な階級的読み方が流行していたが、これはあまりに図式過ぎて当時の実態からずれることでどうも腑に落ちなかった。が、小林秀雄が、「純粋直観」によって歴史を眺めるということを、「己を虚しくして歴史を眺める」あるいは「上手に思い出す」という方法だか姿勢だか分からないが、何とはなしに、妥当性がある見方を述べていたような気がする。小林秀雄は、ベルグソンの翻訳も確か手がけていると思うが、ベルグソンの純粋直観による時間意識は、それ自体では、面白い哲学ではあるだろう。が、歴史を眺める方法にはなりにくい手法であることは確かである。方法とは、経験のあるものたち、あまねく誰でもしていいるものでなければならないだろう。
 そんな時期に、三浦つとむの「日本語はどういう言語か」という啓蒙書に感激した。ごくごく当たり前のことだが、認識の方法として、人は過去について観念的な自己の分裂を起こして、その時代を観ているのだということが認識論として記述されていたのである。小林の己を虚しくするとは、現在の自己の思い込み、現在の知識による見方を一旦忘れて、過去の状況を歴史的に再考し、その当時の自己として観念的に思い描くことなのである。そこで、当時の古代の「規範」あるいは「共同幻想」がどのようなものであったかを推測しなければならないことになる。古代の共同幻想、あるいは共通の規範は、宗教的なあるいは呪術的なもので、現代人の共通の規範、ものの観方とはかけ離れたものであることは、推測できる。が、ここからが、歴史家の力量である。その推測が、概ね妥当性を持つかどうかが何らかの「論理」によって説明されなければならない。この妥当性の論理的説明が、小林の上手に思い出すことの実際なのである。

 この「日本書紀の読み方」では、巻頭の平林の説だけは、読者に上手に思い出すことの論理を提供している、と思われる。
 スサノオは、アマテラスに対して狼藉を働き、それが祓いの起源だ通説は謳うが、しかし、それはそれは古代人の観念をそのま説明していることにはならないのではないか?面白かったのは、最初の論文、平林 章仁の「スサノヲ神話を読み解く」である。あと他の著者のは、細かいところに入り過ぎていて、素人には読むのにかなり骨が折れる。新書向きの内容ではないのでは、とも思った。以下、平林 章仁の説の引用。  
 

 生剥ぎ- 神様は新鮮な食べ物がお好き 生剥ぐとは、獣がいまだ生きているときに皮を剥ぐことである。天斑駒は本来、アマテラスの祭儀に捧げられた犠牲であったが、どうして生きながら皮を剥がれなければならなかったのだろうか。死んだ馬を解体して肉を神に供えると神僕にはなるものの、犠牲=生きている贄(馳走)とはならない。
 現代のように生のままで食物を保存することができなかった時代にあっては、神が召し上がる神僕・贄(にえ)は新鮮なのが最良で、とくに犠牲(いけにえ)は生きていることに重要な意味があった。生きながら神前で皮を剥がれた天斑駒は、耐え難い苦痛から天にも届かんばかりに甲高く斯き大きく暴れたに違いないが、それはまさに生き生きとした新鮮な贅であることを神に示すことでもあった。これを惨忍極まりなく思うのは、生産と消費が分離してしまった近代の感覚である。生剥は、神に犠牲を捧げる際の儀礼的な皮剥ぎの方法であった。                 
 生剥で想い起こされるのは、海の和邇(わに)を欺いたため生きながら皮を剥がれた稲羽(因幡)の素菟(しろうさぎ)の神話である。
 古事記神代記では、かのシロウサギは大穴牟遅神(おおむなち)(大国主神)から治療法を教えられて助かるが、生きながら皮を剥がれたシロウサギも本来、海神(わたつみ)であるりこ神への犠牲(いけにえ)だったにちがいない。
 ワニが海洋民に神格視されていたことは、海神の娘トヨタマヒメが出産に際しワニの姿に変身したと伝えられるなど、広く知られている。 
 
 逆剥とは、日常とは反対に尻から頚のほうに、皮を剥ぐことである。生剥だけでなく、逆剥にも同様に儀礼的意味があったと考えられる。 
(中略) 
 祭祀や葬祭での重要な儀礼上の所作が日常とは反対に行われることは、死者に着せる着物を左前にするなど、今日でも経験する。
 
 アマテラスが籠りから出たさいに、天石窟に境界としてわたした注連縄(しめなわ)が、日常とは反対の左絢いであったのも同じである。また、古事記の団譲り神話で、オホクニヌシに国譲りを諮問されたコトシロヌシは、譲るべきと答えて「天の逆手」を打ったとある。
 
 おそらく、ふだんとは反対の方法で柏手を打ったのであろうが、これも日常とは逆の仕草である。非日常的な時空であることを示すために、祭儀や喪葬での所作はふだんと反対の方法で行うべきとの観念が存在した。
 神々や死者の棲むあの世は、この世と逆転した世界と観念され、それに関わる所作は日常とは反対の方法でなされなければならなかったのであり、逆なのはいわば神々のやり方だった井本英一『王権の神話』法政大学出版局)また、非日常的な時空では、日常的な秩序に拘束されない無礼講となり、時には破壊的・暴力的であることも許された。 

 では、どうしてそれが「天つ罪」とされるのだろうか。生剥・逆剥は、祭儀にだけ許されていた犠牲馬の特別な皮剥の方法であった。日常はそれとは反対に、死んだ馬を頭から尻のほうに皮を剥ぐのが正しい方法とされた。したがって、祭儀でないふだんに生剥・逆剥を行うことは、宗教的にタブーであった。この宗教的な禁忌を侵犯することが天つ罪とされたのであって、天つ罪とは、刑罰を科せられる世俗的な法律違反の罪ではないことに注意しなければならない。
 それは、あくまでも宗教的な秩序に反する罪であったから、刑罰ではなく祓という宗教儀礼が必要とされたのである。 

 古代には、便所や糞尿を不浄、汚穢とする観念は必ずしも支配的ではなく、汚穢観では理解しがたい一面が存在した。とくに廊での神婚伝承は、痢がこの世とあの世をつなぐ境界、異界との通路と考えられていたことを示している (飯島苫晴『竜神と廟神』人文書院)。  
 アマテラスが梭(ひ)で陰部を突くことが、丹塗矢や箸の場合と同様な儀礼的性交を示唆していることに照応して、その場へのスサノブの屎まりにも儀礼的な意味があったと考えられる。本来それは、儀場を汚しアマテラスを困らせるといった単純な動機によるものではなくて、新嘗の儀場を日常的世界と隔絶させるための儀礼的行為ではなかったか。 

 先にも述べたように、古代人の世界観によれば、神が棲み死者が逝くあの世は、現実と論理の逆転した世界であった。あの世に移行するには、日常性から脱することが必要で、そのためには物忌(ものいみ)のような静的な方法のほかに、日常の規範を否定し、逆転させる破壊行為も有効と考えられたのだ(薗田稔『講座日本の神話 四』有精堂/山内和『「食」の歴史人類学』人文書院)。

 日常の秩序が否定・破壊されて逆(さか)しまなあの世が現出するのであり、反対にあの世からこの世にもどすのにも禊・祓などの儀礼が必要とされた。 

 スサノオの屎まりは、あの世へ移行するための日常的秩序の破壊という儀礼行為であり、祭儀の場でしか行えない禁忌だったと考えられる。屎戸は、日常世界から祭儀時空へ移行するための、日常規範を逆転させる儀礼的破壊行為だったのである。 」

 日常とは異なった宗教的儀礼、儀式が、スサノオの狼藉には備わっていたのであり、不浄の観念もかなり現代とは、異なったものになっていたのであろう。したがって、非日常の宗教的儀礼には、日常のそして現代の感性から見たとき、古代の意義を掬うより、現代の感受性で見てしまうことになる。
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