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三土 修平 / 筑摩書房(2007/01)
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これは中々の傑作。本作で高橋 哲哉の靖国論批判されているのがいい。こいつのナショナリズム論、「靖国」論にはまったく同意できない。戦後にあって、戦没者の慰霊さえ否定するやからなんて、「左翼」でも「社民」思考でもなんでもないんだが、これにまったく気づかない所謂「知識人」左翼の典型だからな。とほほ。
 高橋は確か哲学者だとかだったんだと思うが、「哲学者」なら、<存在>論として、人間存在に「ナショナリズム」に傾倒するという「情念」や「他者」を完全に抹殺してしまう獣性が宿っていることぐらい分るだろうというもの。そうした滾り立つ「情念」と「諦観」などを視野に入れたことでも探求し克服できるだけの「哲学」を思考したらどうなんだ。
 といって、靖国に参拝することを奨励する靖国派の、例えば小堀桂一郎らの靖国「理論」など、さらに噴飯ものである。靖国参拝は、宗教行為ではなく、「道徳」の次元の問題だと反靖国派の論理を交すためにぬかす。 靖国派の「道徳」論は、神道の儀礼行為を媒介にしているから共同性をそのまま持っている。それによっかって共同性の理論展開を図るから、厄介である。社会的儀礼行為と神道的儀礼行為は、分けて論じなければならない羽目に陥る。
 「道徳」は、社会の共同規範であるから、社会派が扱うべき観念であるが、これを分らない極端左翼は、「道徳」について極端な拒否反応を示すのが常である。ここに、極端左翼と左翼の違いの分水嶺がある。 
 
 ま、それは由として、以下は引用。レビューは後で・・・・。

 善し悪しは別として、靖国神社を戦没者追悼の中心的施設と思う感情が遺族のあいだに戦後も色濃く存続していて、そこからの突き上げがあってこそ厚生省も動いたというのが真相に近いのではないか。そういう民衆的基盤なしには、いかに美山要蔵らが策謀をめぐらしたところで、大きな力になりえなかったのではないだろうか。

 
I「謀略史観」と「せっかく史観」 

私は前著で「謀略史観」と「せっかく史観」という造語を提示した。靖国派と反靖国派の対立は、つまるところ戦後史をどう見るかの対立に集約される。靖国派が戦後の靖国神社のあり方を憂え、何とかしたいと考えるとき、つねに目障りでならないのは、反靖国派が持ち出す「政教分離」の形式論である。それに対する彼らの苛立ちを、前者で書いてみせたとおりに再現すると、次のような言説になる。「靖国神社問題と言えば、いつも決まって持ち出されてくるのが政教分離規定がどうのこうのという憲法論ですよね。靖国神社は民間の宗教法人だ、国家が特定宗教を優遇するのはいけないとかね。だけど、この間題の本質を宗教の問題としてとらえること自体が、そもそもおかしいですよ。靖国神社が宗教法人などという似つかわしくない地位を与えられているのは、占領軍の押しつけによるものじゃありませんか。日本という国を精神的に武装解除して弱体化するために、自国の戦没者の追悼行事すらまともにできない国にしてしまおうっていうことだったんでしょう。そのために、本来的に公的な性格の施設であるはずのものに、民間の宗教法人なんていう不自然な形式を押しつけておいたうえに、政教分離だとかいう網をかぶせて、動きがとれないようにしてしまったんでしょう」 
 
 戦後改革とは要するに日本弱体化の謀略だったのであり、アメリカの露骨な政治的意図の反映以外のなにものでもない、といった考え方である。これを私は「謀略史観」と名づける。  

 この観点に立てば、戦後改革に対してその後いろいろと見直しが行なわれてきたのは当然のことであり、ものごとが正道に復帰する過程にほかならない。靖国神社公式参拝も、こういう人々から見れば「正道への復帰」過程の一環なのである。

 一方、典型的な反靖国派の主張はこの「謀略史観」をそっくり裏返した史観で特徴づけられる。「戦後改革でせっかく基本的人権の尊重される民主的な国をつくったのに、それをなし崩しに否定しょうとする勢力が、ここ六〇年にわたって策動を続け、ものごとを悪いほうへ悪いほうへと引っ張ってきた」といった史観である。これを私は「せっかく史観」と名づける。 見られるとおり、これら両史観は水と油のように相容れない。 
 
 I靖国神社戦後改革の過程については同じ理解 

ところで、これら両史観の信奉者たちは、通常の場合、靖国神社の戦後改革の過程自体 については、ほとんど共通の理解をいだいている。「GHQは国家神道を軍国主義を支えるイデオロギーとして危険視したので、神道を国家から切り離し、靖国神社を含めてすべての神社は民間の宗教法人としてしか存続を認めないことにした。そのうえで政教分離を徹底させて、国がこれらの宗教法人に対して特別の関係をもつことを禁じた。これによって、靖国神社はその公共性を否定された」というのである。     

 「せっかく史観(反靖国派)」と「謀略史観(靖国派)」のあいだで違っているのはその評価だけで、前者は「軍国主義復活への歯止め」としてそれを積極的に評価し、後者は「日本文化に理解のない人々による不自然な改革」として否定的に評価する。「謀略史観」の側が「無理やり宗教法人にさせられた」と言い、「GHQの押しつけた不自然な改革だったのだから、早晩見直されて当然だ」と言うのに対して、「せっかく史観」の側は「それが『正しい』改革だったのだから、その 『成果』を『守れ』」と言う。 
 
しかし、この「『正しい』改革」論をどこまで強調してみても、「戦没者を追悼する場がなぜ民間の宗教法人という不自然な形態になっているのか」との疑問をいだく人々に、正面から答える議論になっていないことも事実である。 その疑問をひたすら封殺することに終始しているかに見える反靖国派の態度は、靖国を愛する素朴な人々から見れば「占領軍によって押しつけられた改革を、不自然なものまで含めて盲目的にありがたがるおかしな態度」と映ってしまう。ここへ復古主義的なイデオローグがやってきて「自虐趣味」とか「敗戦後遺症」とかいう感情的な言葉で事態を説明してみせると、素朴な人々は「そうだ、そうだ」と納得してしまう。  
 こうして、「同胞を偲ぶ真心」という程度の素朴な気持ちから出発した人々が、戦後改革そのものを呪狙するかたくなで「反動的」な意見にからめとられてしまうという最悪の図式が現出される。こうした事態を、その人たち自身の責任に帰するのは無理である。むしろ、議論の選択 肢の少なさが、その人たちをそういう方向に追いやったと見なければなるまい。 
 I両史観にともに見られる「末法思想」 

 典型的な「せっかく史観」には、ある種の「末法思想」が見られる。戦後改革によって靖国神社が宗教法人になり、政教分離を定める新憲法が制定された一九四六(昭和20年ごろがいちばんよい時代で、その後は年を追うごとに反動勢力が勢力を盛り返して改革を裏切ってゆき、事態は悪化の一途をたどったかのように、戦後史を単純化して描いてみせるからだ。こういう「末法思想」は、「ここでわれわれが踏み止まって闘わなかったら、大変なことになる」と危機感を煽って、運動の結束を図る道具としては、多少の有効性もあるが、歴史の認識としてはリアリティーのあるものではない。 
 もし歴史の事実はひとつだけで、だれでも同じものを見ていて立場のせいで評価が異なるだけなら、「せっかく史観」 の側が悪化の一途をたどった歴史として戦後史をとらえている以上、反対の価値観をもつ 「謀略史観」の側は、「戦後改革によって新憲法の押しつけを受けたが、その後は年を追うごとに日本人の真心が回復し、事態は改善の一途をたどっている」と見るのでなければおかしいはずだ。 
 ところがそうではなく、「謀略史観」の側にも、これまた「末法思想」がある。靖団派の文献を読んでみると、「同じ戦後でも、昔のほうが今よりも素直な日本人が多くて、ましな時代だった」とする慨嘆が、いろいろな場所に出てくる。「せっかく昭和三〇年前後に占領政策の行き過ぎが正され、日本人の本来の心が復活し、靖国神社国家護持への気運も澎湃として盛り上がってきていたのに、その後、政教分離の形式論や、不当な外圧に迎合する自虐史観などが台頭してきて、日本人の少なからぬ部分が当時の素直さを失っていったのは、嘆かわしいことだ」というのである。
 「せっかく史観」の側が一九四六年ごろを時間軸の原点に据えて、そこからの逸脱・退行としてその後の歴史を見ようとするのに対して、「謀略史観」の側は基準時点の取り方が少し異なるけれども、ものの見方としては案外似ている。 

 これは、両派の歴史の見方がともに、実証的な史学というより、自分たちに都合のよい事実をつなぎ合わせて構築したストーリーという性格を色濃くもっていることを、暗示するものであろう。では、真実はどのへんにあるのかとなると、それは慎重な検討を要する大きな課題となるが、私自身は、「謀略史観」 の側が「昭和三〇年前後」を「古きよき時代」と規定すること自体には、若干のリアリティーがあると考えている。『朝日新開』 が「帰国後も真心ささぐ」米国青年を好意的に報道したことに現れているように、当時、靖国神社を国民の心のよりどころとして、かつ事実上公的な存在として評価し、それについて政教分離論をあまりやかましくは言わないという風潮があったこと自体は、否定できない。靖国神社をめぐって政教分離という観点からの問題提起がある程度広い層から耳を傾けてもらえるようになるのはむしろその後なのであって、それは、靖国神社法案をきっかけとして議論が深まったことの成果なのである。 反靖国派もいたずらに危機感を煽る政治手法にだけ固執せず、そういう歴史的事実は公平に認めたうえで議論をしたほうが賢明であろうと、私は考える。  
 
I政教分離論だけでは割り切れない 

「せっかく史観(反靖団派)」の側にとって、靖国神社やそれに類する忠魂碑などへの公的機関の関与を問題として批判しょうとするとき、よりどころとなるのは憲法の政教分離規定である。そのため、これらの問題が法廷に持ち込まれる際には、何よりも政教分離規定違反という論点が強調される。識者がマスメディアを舞台にそれへの援護射撃の論陣を張る場合も、まずその点を問題にする。特に一九八〇年代には、一連の政教分離訴訟で下級審では違憲判決が出ても上級審では逆転合憲判決が出るなど、司法判断の揺れが大きかったこともあって、原告・被告それぞれの後ろ盾となる識者たちが、主としてこの論点をめぐって応酬をくりかえした。 

 被告側がしばしば強調したのは 「靖国神社はどこの国にでもある無名戦士の墓のようなもので、そこに国家の公人が礼を早くしても、それは特定宗教の支援ではなく、政教分離に反しない」との主張だった。原告側はこれに対して、「靖国神社は戦死者を神として崇める特定の宗教であって、宗教に中立的な諸外国の無名戦士の墓とは根本的に異質だ」ということを強調した。これに対してはまた被告側のいろいろな反論がある。靖国派の代表的なイデオローグであった江藤淳などによって一九八六年に上梓された 『靖国論集』(日本教文社)という本は、この政教分離問題についての靖国派の言い分を多く集めていて興味深い。特に、宗教学者で高野山真言宗の僧侶でもあった佐伯真光は、仏教者であっても浄土真宗などとはだいぶ傾向の異なる宗派に属していたためもあってか、神道に同情的で、その立場からこの問題に対するキリスト者の態度を椰捻し、揚げ足をとるようなことを書いている (「キリスト者は 『靖国』を語れるのか」前掲書、一五九~一九七頁)。 

そこでは、政教分離規定は日本国憲法にお手本を提供したアメリカにおいてさえ、原告側が言うほど杓子定規に適用されているわけではなく、公的な戦没者追悼式がユダヤ・キリスト教式で挙行されていたり、議会の開会にあたって祈りを捧げる専属牧師が存在したりする事実があるとの指摘がなされ、さらに、マッカーサーの日本キリスト教化政策(つまり政教分離に対しては、それを批判せずに便乗したくせに、靖国をめぐる政教分離だけは厳格に守れと要求するのは虫のいい話だといった、あからさまに軽蔑的な言葉が書き連ねられている。  
 こうした応酬の結果、靖国をめぐる論争は、神仏混交のおおらかな日本の宗教風土に対して少数派の一神教徒が楯突いている文化摩擦といった、矮小なイメージでとらえられることが多くなった。それに加えて、次のような例もこの論争の過程で明るみに出た。関東大賞災と東京大空襲の犠牲者を追悼する施設である東京都慰霊堂(墨田区の横綱町公園にある)は、都の公有地に建てられた東京都有の施設であって、しかもそこで毎年開かれる春秋の慰霊祭は仏式の法要というかたちで行なわれ、東京都知事以下の公務員が公人として堂々と列席している。慰霊対象たる故人の中にはキリスト教や天理教などの信者も存在することはわかっていながら、日本人の多数派が故人を偲ぶ際によりどころとしている宗教が仏教であることに鑑み、そのような儀礼の形態が採用され、容認されているのである。 
 
 こうした例からわかるように、一般論として国家と宗教とのかかわりがどの程度まで許容されるかを論じて、そこからの演繹で靖国問題をあつかおうとするかぎり、原告側の主張の説得力には限界がある。 靖国の問題を政教分離規定の解釈問題としてあつかうことが、もともとある種の代理戦争的色彩を帯びていることは、たいていの人が薄々は知っている。実質的に問題になっているのは、軍国精神涵養のための国民教化施設であった靖国、戦後もなお慰霊・追悼よりも戦死者の顕彰という色合いを保ち続けている靖国というものを、戦後社会が公的に持ち上げたりしていいのか、という問題である。 

 実際、原告側は法廷戦術上、攻められる限度までは政教分離の形式論で攻めてゆくが、それでは攻め切れない部分が必ず出てくるので、ある段階から先は軍国主義批判という実質論で補足せざるをえない。私はそれを策略的だからいけないと非難するつもりはないし、被告側の習俗論や公的儀礼論のほうが正しいと弁護する気もないが、あまりにも原告側が政教分離の形式論を強調しすぎた場合、そのあとでやや唐突に軍国主義批判の実質論を持ち出してくると、多くの人がその論理の接続のぎこちなさに、居心地の悪いものを感じてしまうのは事実だと思う。  

 (中略)

 国務省の勧告を求めたものであるが、その中には「神道の位置や地位を考慮したとき、信教の自由は許されるべきか」という具体的質問が含まれていた。 これに対する回答として、当時臨時的に国務省に置かれていた組織「極東に関する部局間地域委員会」が三月一五日付けで作成した「日本 - 信教の自由」という文書が、後の靖国神社戦後改革にもろに関連してくる文書として重要である。 

 この文書は、信教の自由という原理が日本への適用においては複雑な問題を内包することを認めている。国家と神道が結びついた現体制を変革するために、一般の宗教について信教の自由を宣言するべきは当然であるが、もし神道も「宗教だから」ということでその枠の中に入ってくることになると、否定されるべき超国家主義的な教えが、信教の自由という大義名分の下にかえって温存されてしまう危険性もあるということを、ひとつのジレンマとして、この文書は認識していたのである (二月一八日の質問状自体、このことを意識していたがゆえに 「神道の位置や地位を考慮したとき、・・・・という、ためらいを含んだ問いかけを発したのであろう)。 

 文書によれば、問題は、本来無害で原始的なアニミズムである原始神道のうえに、昨今の狂信的な愛国主義と侵略主義を増長させるため軍国主義者によって利用された「国家主義的天皇崇拝カルト」が接ぎ木されているところにある。そこで、神道のこうした二側面を、すなわち古神道と、極度に好戦的な国家主義儀礼である国家神道とを区別する必要が強調されることになる。その観点から、この文書の立案者は、神社を三種類に分類して、それぞれに対して別々の措置を考えるべきであると勧告している。その三分類は以下のとおりである。 

 (a)大多数の神社は、古代に起源を有し、各地方の守護神を祀っている。この種の神社 はそれぞれの地方の祭りの場であって、厳密に宗教的な神社であると解釈することができる。 
 (b)天照大神を祀る伊勢神宮のような少数の神社は、古代からの宗教的神社であるが、同時に国家主義の象徴が上張りされている。 
 (c)靖国神社、明治神宮、乃木神社、東郷神社、ならびにその他の国家的英雄を祀る近代の神社は、我々の概念による宗教信仰の場ではない。これらは国家主義的・軍団主義的英雄を顕彰し、戦闘的な国家主義精神を涵養するための国家主義神社(national shrine)である。 

 つまり、同じ(神社といっても、民間の宗教というよりは天皇家の権威宣揚のための政治的色彩の濃いものや、軍国主義的な政治そのものであるような施設もあって、「民間のもの」として存続させることがかえって混乱を招くようなものもあることを、占領政策の立案者たちは認識していたのである。 
 特に問題視されるのは、第三の類型の神社である。もしこの第三の神社も宗教とみなされるのであれば、占領軍の政治権力による廃絶はみずからの掲げている信教自由の原則を踏みにじることになる。この点にジレンマがあり、慎重を期さねばならない課題があった。が、原則論でいうかぎり、日本政府自身がこれらを宗教ではなく、愛国主義の表現形態であるとくりかえし主張しているのだから、「信教の自由の原則を犯すことなく閉鎖しうる」というのが、立案者たちの見解であった。 

 ただ、実際的な勧告としては、これら軍国主義的神社であっても、強制的閉鎖は逆効果を招く恐れもあるので好ましくなく、公的秩序や安全保障に反しないかぎり、個人的信仰の対象としては公開存続を許してかまわないというのが結論であった。 後に神道指令の起草にあたったGHQのスタッフはこの文書を直接は見ていなかったらしいが、その後のいろいろな文書や指令を通じて、間接的には影響を受けていたであろう。( p144)
 メモ:鎌倉時代以降、天皇家は実は真言宗泉涌寺の檀家となっていて、歴代天皇の墓は堂寺の境内に仏式で造営され、天皇家も一般国民と同様の神仏習合の精神生活を送っていた。しかし、この事実が、明治維新以降休息に国民の目から隠される。そして天皇家の祖先祭祀は神道方式一本やりということになる。祭祀を司る道である神道が、国民全員の尊敬すべきみちとされ、それは個々人として何宗の檀家となっている者でも、国民としては当然従うべき道とされて行くことになる。
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ありがとうございます
拙著『頭を冷やすための靖国論』への感想のブログ記事は、だいたい昨年前半で出尽くした感じだったのですが、ふと検索してみたら、貴サイトの最新のがみつかりました。出版後1年以上過ぎましたが、こうして注目していただけて光栄です。長々と引用、お疲れさまでした。キーポイントになる箇所を適切に引用していただけましたので、このブログを読んだ人が「その本、読んでみようかな」と関心をもつきっかけに大いになりそうです。
三土修平 2008-02-03 (Sun) 17:32 Edit
三土修平先生へ
 あは、びっくりしました。三土修平先生ご本人からコメント頂けるなんて、思ってもいなかったですから・・・。勝手な引用、寛大に扱っていただけて有難うございます。
 先生の著作には、戦後の占領下での「政策」の記述があってとても参考になりました。靖国、ないしは靖国問題を論じるとき、自分の歴史的検証の非力を実感しておりました。
 そこで、演繹的に処理する方法に変更したらどうかと思って、神道とは何か、神社とはどのような存在様式をしているかを探っているときに先生の前著『靖国問題の原点』を読みました。これが衝撃でしたね。これぞ『中立』、冷静な判断だわと思いましたわ。そこでも採り上げられていたのですが、「私」としての天皇と「公」としての天皇のあり方にも興味がありました。
 そうこうしているときに、先生の本著『頭を冷やすための靖国論』を本屋で見つけたので購入しました。
 いろいろと書きましたが、また、よろしければコメントやご指摘、この本はここが面白いから読めとかアドバイスください。
  
 
解 龍馬 2008-02-04 (Mon) 04:57 Edit
三土家と滝家
はじめまして。
 私の名前は 南 正子と申します。母の名前は黒井 文子です。曾祖母は 香川県 神野村の久保神社の朝倉 嫁いで参りました。この曾祖母の母の姉が 三土 幸太朗(梅堂)と結婚をいたしましたが 名前がわかりません。姓は ”滝”です。もし ご存知でしたら教えていただけますでしょうか。?因みに 忠造様の最初の奥様がこのお二人のお嬢様で 三土 ユキ様でしたが 若くしてお亡くなりになりました。その後 御茶ノ水女子大をでられた 加藤 なつ様と結婚されて 東京へ移転された。と聞いております。私は 黒井家縁のある方の系図を調べ手下ります。ご協力をお願い申しあげます。

 南 正子
4008 Acacia st
Fortworth, Texas 76109
USA
南 正子 2008-09-15 (Mon) 12:04 Edit
三土家の歴史について
南正子さま。三土家の歴史にご関心をお持ちいただけて、光栄です。我が家の系図によりますと、三土幸太郎は二度結婚しておりまして、初婚の妻がマツ、再婚の妻がスガと記録されております。子どもは娘一人だけで、初婚の妻とのあいだに生まれました。名はユキではなくセツといいます。この三土セツと結婚して婿入りしたのが宮脇忠造でした。セツは明治43年に若くして亡くなり、その後、後妻として入ったのが加藤ナツでした。ナツも教員をしたことがありますが、お茶の水卒ではありません。ナツの甥の一人に俳人中村草田男がおり、忠造の甥の一人に鉄道紀行作家宮脇俊三がおります。以上、ご参考になれば幸いです。
三土修平 2008-10-17 (Fri) 21:07 Edit
無題
思いもよらず お返事をいただきまして 感謝しておりま。重ねて有難う御座いました。三土 幸太郎氏が 長尾大隅守家の墓碑を書かれたとこれも 滝家、朝倉家との縁との深さを思いしらされました。
南 正子 2008-10-27 (Mon) 08:41 Edit
西庄村三土
坂出市西庄町に明治時代の三土氏が含む共有地が現存しています。この中に三土宇平、三土信太郎、三土喜八、三土藤八の名前がありますがこの人たちは三土謙三もしくは幸太郎と関係は有るのでしょうか?三土氏の系図があるとの記載ですがお願いしたら教えていただけるものでしょうか?
三土傳左b衛門 2009-01-18 (Sun) 11:11 Edit
残念ながら不明
三土家の系図と申しましても、私が持っているものは、幸太郎までは直系先祖が一本の筋で記載されているものでして、兄弟、伯父、叔父、従兄弟、甥といった関係はまったくわからなくなっています。忠造からあと身近な範囲が細かく記載されているものにすぎません。西庄にある醍醐寺という小さなお寺(名前は醍醐寺だが宗派は真言宗御室派)が三土家の墓守寺でしたので、そこへ行けば傍系を含むより詳しい系図がわかるかもしれません。何しろ、覚えきれないほどたくさんの位牌がそこにはありましたから。
三土修平 2009-01-19 (Mon) 21:18 Edit
fnvdluck@gmail.com
カッコいい!興味をそそりますね(^m^)
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moncler 激安 2012-10-10 (Wed) 16:23 Edit
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