主に政治と経済について、思いついたことを語ります。リンクフリー、コピーもフリー
阪神、大洋などで活躍した元プロ野球選手で、野球解説者の加藤博一(かとう・ひろかず)さんが21日午後0時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。葬儀・告別式は未定。2年前から、がん治療のため入退院を繰り返していた。あのひょうきんさと明朗さが売りだったひろがずさんが逝去。肺がんだったそうですが、ちょっと早すぎる死だな。TVでの解説では、内容より笑わしてくれるところ、元気付けるところがこの人のいいところだった。いいタレントだったのになぁ、凄く残念。
家族によると、2年前に肺がんと診断され、昨年2月には左肺を摘出した。術後は驚異的な回復で仕事に復帰し、米国でのメジャーキャンプの取材なども精力的にこなしていた。しかし、同7月に左足大腿骨に転移していたことが判明。年明けになって症状が悪化したという。
加藤さんは佐賀県出身。1970年、多久工業高校からドラフト外で西鉄入り。76年に阪神へ移籍後、レギュラーに定着した。プロ入り初本塁打は、初登板の江川卓からだった。
83年に大洋(横浜)に移籍。二番打者に定着し、85年には、高木豊、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を結成、3人で3ケタの148盗塁を記録した。
明るく、ひょうきんなキャラクターでファンからも選手からも人気を博し、90年に現役引退後はフジテレビの野球解説者として活躍した。
闘病中にはテレビ出演の機会が減っていたが、病床でもネット上のコラム『ひろかずの球心を突く』などで執筆を続けた。最終稿となった昨年12月7日には野球の星野ジャパンの話題に触れ、「しかしまだ終わりじゃありません。来年8月には北京での戦いが控えています。日本代表が成田に帰ってきた時には、胸に金メダルを下げて帰ってきてほしい!」と最後まで野球への情熱を傾ける文章で締めくくっていた。
古田敦也・前ヤクルト監督の話 「非常に驚いています。現役時代、解説者として神宮にいらしたとき、声をかけてもらったことを思いだしました。僕は年下だけれども、とてもフランクに声をかけてくださいました。とても話しやすかったです。あまりにも早すぎます」夕刊フジ
合掌。
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