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 福井総裁の手腕の評価だが、一般人にとっては金融政策などほとんど関係なく生活には無関係で、なんら影響を与えないと思われている超メタ次元の話題だろう。その一般人としての筆者が評価する。経済学は、難しいと思っているが、それなりに「経済学という教養」(稲葉振一郎)程度の知識から述べていくと福井総裁、あるいは福井総裁の組織としての日銀の罪は、就任期間5年のうちで、前半と後半に分けると後半はデフレ期待を呼び覚ます政策だったと断言できる。今般の円高も日銀が招いたトンデモな政策の結果だと推論する。理由は、単純明快である。ベースマネーの絞込みにある。ベースマネーの絞込みは、流通する円の縮小だから絞り込む前より円は少なくなる現象を市中に招き寄せる。よって、円と返還される外貨は、より多くを必要とする。だから、特に対ドルにおいて円高になったと考えることができる。この推論が経済学的に妥当、ないしは、該当に遠からずであれば日銀の後半の金利「正常化」政策が招きよせた「災害」となることになる。
 
 円高は、MF理論を為替レートに拡張して捉える理論もあるが、どうもそれによると今般の円高は基本的に納得のいく説明がつけにくい。

 また、前期は相対的に速水優と比較すれば大きく評価できる。振り返ってみれば一昨年の年末から昨年の株価、不動産の資産価格の上昇は、2001年から5年間続いた超金融緩和政策、また、福井が総裁に就任した2003年3月(イラク戦争開戦時期)から始めた財務省で当時為替政策を取り仕切っていた溝口善兵衛(現島根県知事)の米国短期証券の大量の購入による円安ドル買い政策(但し、購入の上限つきという制約があった)と福井新総裁の強力な量的緩和策と不十分ではあるにしてもデフレ脱却を表明したインフレターゲットもどき政策(リフレ政策)の効果が市中に行き渡ったマクロ的な需要拡大の表現としてみることができる。
 米国の経済回復とFRBによる長期金融緩和の明確な宣言があり、2003年5月に決定されたりそな銀行への2兆円の公的資金の投入によるハードランディング懸念の後退による株価上昇を通じて一定の金融上昇効果を持ったと考えられる。

 福井総裁の誕生の経緯をWikiから引用。少し流れを追ってみるための引用。

 
2003年、複数の候補者の中から財界及び小泉内閣の支持を得て、日本銀行総裁に就任。たすきがけ人事の慣行を破る形で福井総裁誕生となった。就任直後にイラク戦争が発生し、国際情勢が混迷を極めていた中での就任となった。
 
 当初は、速水路線(良いデフレ論争)を踏襲するのではないかと危惧する向きもあったが、そうした危惧に反して、景気にも配慮する姿勢を見せ、デフレ脱却に向けた舵取りを行っている。また、政府(内閣府)とも適切な意思疎通を図るよう心掛けており、政策当事者間の信頼醸成の点でも功を奏している。非不胎化介入による円安維持を行い、その後、日本経済ことに輸出部門は2004年から本格的な回復軌道に乗り、福井の手腕を評価する声が日々高まっているとの指摘がある。

 2004年2月14日、英エコノミスト誌はToshihiko Goldilocksと題した記事で、前任の速水優を「おそらく世界で最悪の中央銀行総裁possibly the world's worst central banker」と評した上、連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長や欧州中央銀行(ECB)のジャンクロード・トリシェ総裁ではなく、より強力な量的緩和に踏み切った福井俊彦を世界で最も優れた中央銀行総裁と評価する記事を掲載した。

 2006年3月には、5年超続いた金融の量的緩和政策を解除、同年7月には実質的に約8年間に及んだゼロ金利政策からも脱し、短期誘導金利を 0.25%(ロンバート金利は0.4%)へ引き上げることに成功。但し、米国経済・日本経済共に先行きの不透明感を増しており、引き続き難しい政策判断が求められる立場にある。wiki


 そこで、市場関係者の方が実務的に詳しいので、その「総括」を見てみる。メディアの「市場」関係者としてのエコノミストの評価は、以下にあげるように、06年の緩和政策の解除、ゼロ金利政策の解除というデフレ脱却宣言なき「愚策」に対しても比較的肯定的である。

 
福井総裁は2003年3月20日に、速水優前総裁時代に導入された歴史的にも前例がない「量的緩和政策」を引き継ぐ形で登板。就任会見では、金利の上げ下げで経済と物価の安定化を図る正常な金融政策を復活させるための「金利正常化」に強い意欲をみせた。

 一方で、当時の小泉純一郎首相は「デフレ脱却を最優先でやってほしい」と要請。福井総裁は、金融引き締めを伴う金利正常化とは矛盾する「デフレファイター」(与党関係者)としての役割を担うことになった。

 試練はいきなり訪れる。総裁就任直後にイラク戦争が勃発(ぼっぱつ)。国内の金融不安も拡大し、4月28日には日経平均株価がバブル崩壊後の最安値となる7607円まで下落した。

 これに対し、福井総裁は即座に臨時の金融政策決定会合を開き、量的緩和を拡大するなど矢継ぎ早の対応を打ち出し、「柔軟な姿勢で金融市場の安定確保につなげた」(民間エコノミスト)と高い評価を得る。5月には、りそなホールディングスへの公的資金投入が決定。これを転機に、株価は反転上昇を始める。02年2月に始まった緩やか景気回復も足取りを進め、株価はサブプライムショックが表面化する直前の07年7月9日には1万8261円まで上昇した。産経IZA

 
 
福井俊彦日銀総裁の5年間を民間エコノミスト3人に採点してもらったところ、点数は60~80点の間で分かれた。

 最も低い点数をつけたのが、みずほ証券の上野泰也チーフマーケットエコノミスト。減点材料として「政策運営の説明責任が軽視された」と、市場との対話の不十分さを挙げる。日銀は昨年1月の金融政策決定会合前、利上げをにじませたメッセージをたびたび発信したが、政府・与党から反対意見が続出し、結局、利上げは2月に後ずれすることになった。上野氏は「違和感を持った」と振り返る。

 これに対して、第一生命経済研究所の熊野英生主席エコノミストと、ニッセイ基礎研究所の矢嶋康次シニアエコノミストは「速水優日銀前総裁は不用意な発言で市場を混乱させることがあった」(矢嶋氏)などとして、速水前総裁との比較の上で福井総裁の市場との対話を評価する。

 3人とも量的緩和とゼロ金利の解除については「政策目標を実現した」(熊野氏)などと“功績”を認めるが、第3次利上げを模索しながら果たせなかった過去1年余りの迷走には「フォワードルッキング(先取り型)といいながら、先読みを誤ったのではないか」(上野氏)などと手厳しい。産経IZA


 なんとも、エコノミストといわれるのだからマクロの経済認識があるものたちだろうと思うが、それであればデフレの脱却という認識が示されてもいいと思うがそれがない。マクロ経済認識の低さ、下劣さが覗われる。デフレ対策としての金融緩和であったという認識が、彼らにはないのだからマクロの経済としてみるマクロのエコノミストではないとことになる。これが一般の「素人」の言う言辞であれば、それも聞き流すことも出来るし、経済的に負の影響も全くなく、天候の挨拶ぐらいと同じ位相の類であるとしておけばいい。
 
 しかしながら、彼らは自称か他称の「エコノミスト」である。そこで新たに仮説を立てる。「エコノミスト」=「市場」関係者=株や不動産の上昇によって利益を得る利害関係者であるあるとする。と、辻褄の合わない理屈が開陳されているのが分る。 
 デフレ脱却も出来ていない経済の中に金利上昇、また、ベースマネーの緊縮など求めれば、株や不動産などの資産価格はサブプライムによる外政的ショック、原油高による外需産業に対する業績不振予測、さらに円高放置による業績不振予測が折り重なる「需要」減衰を通じて、急降下するに決まっているだろう。自らの利害に直結する愚策を要求、評価したりする個別利害関係者というのも中々に珍しい存在者達である。
 
 普通の国の経済において、これほど長きに渡るデフレ期間が存在していたことがあったのだろうか?しかもいまだにGDPデフレターで見ても、デフレである。日銀金融政策の迷走、2003年の財務省との為替介入による円安政策と量的金融緩和と長期国債の大量購入によるベースマネー増大策、インフレターゲットもどき政策による名目経済成長率のわずかではあるにしても向上は、日銀福井の功績である。それによって、株価の上昇、資産価格の上昇が、齎されたと認識することが出来る。何度も述べるが、それは福井の今までの総裁であったデフレ容認派である速水優との大きな違いであり、市中に経済的には希望を持たせるものであった。この功績は、相対的に大きく評価できる。

 が、しかし。福井任期中に「デフレの脱却」完了宣言は一度も出されることなく任期を迎える。一度も「デフレ脱却」完了と宣言することさえできなかったということに日銀のマクロ経済認識の不全症候群、またそれに基づく金融政策の誤りと重大な過失を認めるべきである。
 
 その後のデフレ認識の欠落に基づいた強引な「金利の正常化」による金利の上昇、ベースマネーの減少は、景気後退観の醸成、更に、インフレ期待を剥落させてしまった。その期待の剥落は、予想以上に大きく、株価の大幅な下落また資産価格の下落を引き起こし、「期待」ないしは「予想」の方向を逆転させた罪は、かなり重いといわざるを得ない。

 これほど評価が任期前半と後期の策がぶれたのは、あまりに「文学的な」=反経済学的な経済認識方法、あるいは日銀という組織が共通のマクロ経済認識をもてない組織であったのだろうかと思われる。ダメぽ。
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