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[東京 26日 ロイター] 安倍晋三首相は、本間正明政府税調会長の後任を香西泰氏に要請したことを明らかにした。安倍首相は、香西氏について「財政、税制に深い見識を持っている。諮問に沿ってバランスの取れた税制に取りまとめてほしい」と述べた。26日に官邸内で記者団に語った。

 香西泰氏は、1933年生まれの73歳。1958年経済企画庁(現在の内閣府)に入庁。東京工業大学工学部教授を経て、87年に日本経済研究センター理事長に就任。2003年から05年5月まで、内閣府経済社会総合研究所の所長をつとめ、現在は、日本経済研究センター特別研究顧問。

 ということで、香西氏が決まった。このいざこざの中で、池田信夫氏が、本間正明氏以外では、安倍政権の「改革」路線が崩れるようなことを彼のブログで述べていた。この意見には、ん、と思ってしまった。何故こういった見解が述べられるのだろう。

 一般に今日の日本経済はデフレ、あるいは、デフレ的状態にあるというのが共通認識である。マクロ経済のGDPは、総需要と総供給の一致によって決定されるが、デフレの状態は需要が不足しているか、供給が過剰でであるから、起きるのだということが、共通認識である。供給側の過剰によるとの認識に立てば、供給側すなわち企業側の技術革新、労働能力の強化などによる生産性が向上していることを、供給側の「経済」提言となる。逆に、需要側の不足によるデフレの状況を招いたのだとするのなら、総需要の向上を提言するすることになる。そこで、どちらの認識が妥当性を持つかが議論されることになるが、名目成長率が、実質成長率より低い状態は、デフレギャップと呼ばれ、総需要の不足から起きる。また、失業率が、90年代以前のそれと比較して、高くなったことから、これが、総需要の不足を示すことになるとされる。供給側の過剰分は、殆ど示されることはない。そこで、供給側の経済思考としては、社会「構造」の非効率化をしようという技術革新をセーブすることを論理的には求めることになる。これが、大雑把に言った、供給側の経済と需要側の経済認識の違いとなる。
 が、上述の議論とは全く外れた方法で、経済改革をしようとするものたちが、供給側の「改革」路線である。本来なら、供給過剰であれば、技術革新など必要が無かろうが、彼らは牽強付会する。需要の不足を、供給の不足として強引に考えようとすることになる。需要不足は、需要側の欲求で成立しているにもかかわらず、供給側にその原因を求めるのである。言ってみれば、泥棒さんがいたとして、盗まれた方に犯罪の原因を求めるようなもので、責任転化の論理ともいえることを適用する。

 本間氏の考え方は、竹中平蔵と同じ供給側の技術革新で、デフレという総需要不足、よって、比較的高い失業率による総需要不足の不況を、誤った認識で乗り切ろうとする現状のマクロ経済認識に基づいている。それか、供給側の供給不足によって、GDPの成長が低調であるとの認識が基底にあり、GDPの拡大を供給側の生産性増大によって目指すことになる。で、この認識の枠組みから、間違った経済政策が採用される。その背景には、日本の政治が、あまりのにも財政政策に偏り過ぎであり、公共投資の過剰に傾き、それによって中央の政治家が、地方の利益誘導に過剰に入れ込みすぎて、利益誘導の族政治に腐敗しているとの認識が存在する。 
 ここから以下は、「自由主義」の観点から、話題を進めていくことにする。小泉政権から自民党、官僚主導で、政策が決定されることを、政府主体に、決定するという政策スタンスに変更された。自民党が、様々な族に支配されており、その族の利権を封じ込めるためにも、政府の権力を強力にし、自民党の旧態勢力を追い出すことまでしたのが郵政民営化問題での解散による解決方法だった。また郵政族だけでなく、地方に利益誘導する利権政治家を排除していくことが「改革」としての必要条件だった。それ故、族議員排除が、本来改革の手段であるはずが、何時しか目的となっているのが政府の現状だと思われる。その文脈に、特定道路財源が、一般道路財源へと組み入れられる政府提案が、「改革」であり、財政再建の旗印の下、それに対して抵抗すえるものを、旧勢力として大新聞各社の社説が、競って排除することを述べている。彼らは、「自由主義」の政策提言に賛同していることになるが、しかしながら、受益者負担という自由主義の手段を、無視しようとしている。受益者負担という原則がない市場など、認めることは、公正の市場を認めないのだから、すでに論理破綻なのである。
 


 それが、「構造改革」のひとつなのだろう。つまり、田中角栄以後の中央集権的利権配分政治を、解体し、「自由主義」の方向に自民党を持っていくことも、小泉、竹中平蔵には意思があった。
 そもそも田中角栄の中央集権的土建政治は、「保守」政治ではまったくない。73年が福祉元年といわれるように、土建政治であると同時に「自由主義」政治に対する「左派」の社会民主主義の「思想」を具現化した政治だったのである。但し、そこには、高福祉高負担といった富裕層も非富裕層も同時に享受する副詞といった概念は薄かったのかもしれないが、しかしながら、土建的公共投資の政治は、73年の石油ショック後の経済成長の鈍化はあっても、基本的に経済成長と完全雇用政策が採られていたのは、間違いないことだろう。そうした中、自民税調が、政府の権力以上の権力を持った。小泉構造改革派は、この税調への権力の集中を、排除に向かった。そのため、政府に財政諮問会議を設ける、ここを「構造改革」の基地とした。政政府税調もこの官邸主導の、「構造改革」の重要な基地である。自民党税調と政府税調は、ジャーナリスティックな図式的見方によると、抵抗勢力と改革派との争いなのである。抵抗勢力側である党税調は、小泉政権下で、影響力が相当に落ち込んだ。挽回の機会を、安倍政権に見出したのである。今回の場合、党の税調会長である島津氏の党税調の復権を目論んでいた。それに対して安倍の政府側の道路特定財源の一般財源化という発言は、族議員からすればいただけない政策であり、利益誘導要因がなくなるのだから族議員は反対なのである。
 だから、一般財源化は、受益者負担の原則を捻じ曲げる「社会」的暴挙だという自由主義の原則議論など彼ら、「族議員」から聞こえることはない。族議員の利権擁護の議論と原則議論を同じもとして扱ってはならない、と思う。族議員は自らの利権の擁護が目的であり、原則論は、「自由主義」の市場を守るためのぎろんであり、また、それを通じて、一般の公正を確保することが目的だから目的が大きく異なるのである。
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