安倍総理の「成長なくして財政再建なし」のスローガンは、それ自体、マクロ経済的思考で言って当然のことである。ここでは、小泉の「構造改革なくして成長なし」より、一歩進んだ思想が見える。民主党は、いまだに「財政再建なくして成長なし」の自由主義の思想から脱却できないでいる。所詮、自民党と民主党は、「自由主義」の政党である。二大政党が、両方とも「効率」を競い合い、民営化を競い、財政再建度を国債のGNP比を競うという「自由主義」の枠内での争いに過ぎなく、これでは、国会の二党独裁、いや、二大勢力の自由度競争といえる末期的状態である
[東京 6日 ロイター] 安倍晋三首相は、6日午後の衆議院予算委員会で、景気について、長いトンネルを抜け、力強い景気回復軌道に乗っているとの認識を示した。 安倍首相は、景気の現状について、2002年から息の長い回復が続いているとし「企業活動、家計、輸出がバランスよく回復している」と指摘した。また、産業や地域によってバラつきはあるとしながらも「全体としては長いトンネルを抜け、力強い景気回復軌道に乗っている」との認識を示した。また、家計消費の回復の遅れについては、企業などがイノベーションによって利益を上げ、雇用者に波及することが望ましいとした。そのうえで、IT関連など成長分野に人材が集中することの必要性を強調し「イノベーションで生産性を向上させ、一人当たりの生産性、所得が増える。つまり、縮小均衡ではなく、成長や拡大によって全体の日本経済を底上げしたい」と述べた。
「経済成長なくして財政再建なし」スローガンの中身が、企業などがイノベーションによって、供給の改造によって成長するという内容になってしまっている。これじゃあ、だめぽ。
80年代の経済成長が4から5パーセントであった、90年代デフレ期が、1パーセントから、マイナスへと至り、やっとここへ来て2から3へと上昇。不良債権の処理が、回復に資したという経済認識だろうが、不良債権は処理したから、金融不安がなくなったのではなく、合併によりメガ銀行を作り上げたこと、また、銀行に優先株を発行させそれを国が引き受けたことによって、金融不安を払拭しするという、いわば、「自由主義」の思考とは全く逆の社民主主義的政策によるところが大きい。政府がバックについて政府保証をしたということが、市場に安心感を与え、株の上昇に資したといえるのである。株が上昇したおかげで、銀行の不良債権引当金の利益充当ができる余裕が出来たことで、銀行が巨大な利益を上げることが出来たのである。もちろん、銀行の業務努力自体を、否定しているわけではない。銀行の業態を貸付業務から投資信託、ディーリング、などへ変更していった「改革」の努力も、あったのだろう。が、企業に対する貸付が、反対から言えば企業の投資のための資金需要が、バブル前期ほど回復しているわけでもないのである。デフレの圧力、つまり、資金を借りてでも、投資したほうが、利益に資するという経済状態では、全く無いのである。
失業率は、4パーセント台以下に下がっていない。80年代の失業率は、2パーセント台である。失業率が、低くなるということは、供給側のイノベーション(イノベーション、技術革新を否定しているわけではないが)ではなく、需要側の増大を目指すことである。こちらに政策の意図を向けなければ、成長も内需を媒介にした「力強い」ものになるには、はなはだ心もとないのである。
昨日、川上先発で、中日敗北。あは~。