主に政治と経済について、思いついたことを語ります。リンクフリー、コピーもフリー
更新が個人的都合で、遅れているので、いくら気長にやろうとしたブログでも、これではいけないだろうから、以前から思っていいたことを書きつけることにする。
述べたいことはいたって簡単なことで、中央集権制は、「自由」より「平等」の理念と似つかわしい政治概念だろうということ、そして、その観点から見ると、日本の政治の中央集権制は、中央の政権は、この構造を変えようとせず、「自由主義」に基づいた政治論理的な趣旨から観ていくのなら、地方の独自の課税権も蔑ろにすることは、「自由主義」の放棄であり、捻れた政治構造、政治認識の基に成立しているのではないか、という認識である。
述べたいことはいたって簡単なことで、中央集権制は、「自由」より「平等」の理念と似つかわしい政治概念だろうということ、そして、その観点から見ると、日本の政治の中央集権制は、中央の政権は、この構造を変えようとせず、「自由主義」に基づいた政治論理的な趣旨から観ていくのなら、地方の独自の課税権も蔑ろにすることは、「自由主義」の放棄であり、捻れた政治構造、政治認識の基に成立しているのではないか、という認識である。
例えば、うろ覚えで、ソースの明示をせずに記述するのだけど、中央が自由主義の政権であれば、地方財政は、地方の権限で、地方が課税権を持つとする思考方法が政治的原則で当然である。今現状の地方政府は、概算需要額を国に提出し、それに応じて、地方交付金を受け取るという、中央集権的な中央依存の財政構造にあることは、広く知られているところだろう。
地域の財政が、地方税のみによって賄われているわけではない。自由主義を採るのなら、地方に課税権を認め、「地方責任」で地方が政治をつかさどる必要があるのである。交付税交付金、国庫支出金などによって賄われている財政収入は、地方にそれらに見合った課税権と課税額を地方が算定し、すべて地方に委譲した後の地方の三位一体改革であるのが、「論」の筋というべきものである。
課税権を認めない地方政治は、自由主義の思考の下には認められるものではない、基本的に・・・・。
何故このような中央集権的財政がとられているのだろうか、それは平等思考への依存体質が原因なのである。中央集権制は、自由主義経済であれば、当然に起こる不平等を是正するため強力な中央集権制が必要であり、また平等性への政治思考の結果だったのである。それが、90年代の橋本政権あたりから捻れ出したと言われている。
安倍政権は、「自由」主義思考の下に運営されているいわれながら、その適否は別に「道徳」教育の教科書の復活、愛国心の推奨などという、目論んでいると巷では騒がれている。
しかしながら、この愛国心や道徳心は「平等」主義の思想から導き出される考え方であり、また社会民主主義の思想を、またその方向へ向かおうとしている勢力が担う考え方である。愛国心、道徳心の復帰、その風潮を批判しているメディアも全く捻れてた言論を展開している。
朝日新聞は、左(平等)だと思っている連中が多いだろうが、あれは、自由主義の新聞であり、フランスのサルコジとほぼ同一の自由主義新聞の論調だと考えるべきである。よって、朝日新聞の社説は、サルコジ批判をすることが、捻れた論理でしかなく説得力を持たないのである。
また、読売新聞は、右(自由主義)だ思われているだろうが、中央集権制を維持する傾向が強く、ニューソースも政府筋(中央)に依存していたりするする傾向が強いので、むしろ左(平等=市場原理主義の拒否)と見たほうがいいのである。
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地域の財政が、地方税のみによって賄われているわけではない。自由主義を採るのなら、地方に課税権を認め、「地方責任」で地方が政治をつかさどる必要があるのである。交付税交付金、国庫支出金などによって賄われている財政収入は、地方にそれらに見合った課税権と課税額を地方が算定し、すべて地方に委譲した後の地方の三位一体改革であるのが、「論」の筋というべきものである。
課税権を認めない地方政治は、自由主義の思考の下には認められるものではない、基本的に・・・・。
何故このような中央集権的財政がとられているのだろうか、それは平等思考への依存体質が原因なのである。中央集権制は、自由主義経済であれば、当然に起こる不平等を是正するため強力な中央集権制が必要であり、また平等性への政治思考の結果だったのである。それが、90年代の橋本政権あたりから捻れ出したと言われている。
安倍政権は、「自由」主義思考の下に運営されているいわれながら、その適否は別に「道徳」教育の教科書の復活、愛国心の推奨などという、目論んでいると巷では騒がれている。
しかしながら、この愛国心や道徳心は「平等」主義の思想から導き出される考え方であり、また社会民主主義の思想を、またその方向へ向かおうとしている勢力が担う考え方である。愛国心、道徳心の復帰、その風潮を批判しているメディアも全く捻れてた言論を展開している。
朝日新聞は、左(平等)だと思っている連中が多いだろうが、あれは、自由主義の新聞であり、フランスのサルコジとほぼ同一の自由主義新聞の論調だと考えるべきである。よって、朝日新聞の社説は、サルコジ批判をすることが、捻れた論理でしかなく説得力を持たないのである。
また、読売新聞は、右(自由主義)だ思われているだろうが、中央集権制を維持する傾向が強く、ニューソースも政府筋(中央)に依存していたりするする傾向が強いので、むしろ左(平等=市場原理主義の拒否)と見たほうがいいのである。
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