FRB議長再任可否の検討開始 オバマ政権 【ニューヨーク=山本正実】9日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、オバマ政権が、来年1月末で4年の任期を満了する米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長の再任を認めるかどうかの検討に入ったと報じた。 バーナンキ議長の再任には上院の承認が必要だが、民主党のドッド議員など米上院の有力議員が、バーナンキ議長の金融危機への対応を批判しており、再任は不透明との見方が出ていた。議長が交代する場合、後任の最有力候補としてサマーズ国家経済会議議長の名前が挙がっている。 (2009年7月10日 読売新聞)
どこの国でも中央銀行という金利の政策(特に不況期での通貨膨張策)と「政治的」「社会的」倫理がバッティングすることがままある。上院議員は金融危機を招いたのは、金融関係者の自業自得で、それに対して自動車ローンや住宅ローンの買取を実施たり、はたまた巨額の報酬を得ている金融会社の擁護をしてみたりという態度や政策について社会的道徳として憤りを持つ。これももっともなことである。
これに対して、中央銀行の為政者側は、金融システムの安定のためには、不良債権の買取によって、金融機関からの不良資産のバランスシートからのオフバランスをし、景気回復、主として株や住宅債務を繰り込んだローン担保証券の価格上昇まで待つべきだとす。金融機関への非難は、後回しにして、長期国債の買取などの大型の通貨供給策などによって、金融安定そのものだけでなく、マクロの経済政策を非常時の策として倫理を無視してまで先行しようとする。
それぞれが杞憂し、それぞれが「正義」視点から語られる。そしてそれが、混乱し、あるべき道からずれていく・・・・。それが日ごろの為政者達の姿であり、またそれを向かいいれる生活者の姿なのだろうかと思う。
通貨膨張が為政者の中で、排除されたとするなら、これは大問題だわ。
身近な生活でもこのような矛盾をひどく痛感する。社会生活上自分の主張が通ることは、様々な制約で困難であり、またほとんどあり得ない、と考えたほうがいい。これは誰でもが思うところであり、また賢明な人生訓として作用するものでもある。つまり人生訓からの政策を取るのは緊縮への道であり、マクロの経済が収縮するする政策を支持しやすい思考方法でもある。あるいは、これが合理的な判断だともいえるのであろう。
しかし、このような態度を金融政策の判断、あるいは、デフレとインフレが長期として金融政策の通貨供給量に依存するという単純な判断を「世の中、そんなに上手く行くわけが無い」という人生訓から眺めるのは愚かである。
好況期であれば、このような「人生訓」を下敷きにした考え方をもとに、倹約を薦めることは、大いなる経済的発展が期待できる。何故なら倹約して貯蓄した預金は、金融を媒介に企業や個人の資金需要に対して貸し付けられ、これらの債務者が様々なアイデアと実行力によって果断な挑戦を繰り返すからだ。そして、その果断な挑戦が、思惑通り達成されることも不況期に比較して大きい。つまりは、大多数の「倹約」 が少数の大胆な活動を支援することになる。そのような経済状況が、身近にあれば、金利も上昇し、さらに倹約家たちの貯蓄に利息が付き、倹約が金融機関を通して、好循環を描くことになる。
同じ倹約でも不況期と好況期のそれはまったく違った様相を呈する。デフレ期に突入する90年代半ばまでは、多くの人の倹約は、社会全体の貯蓄として金融機関預け入れられ、その多くが貸し付けられ、またそれが収益として金融機関も潤い、借りた方が先行投資をして失敗もありながらも、潤っていくという好循環が描き出された経済状態だった。倹約は、個人的美徳であると同時に社会的にも推奨される生活姿勢であったのである。
しかし、今回のような経済的な不況が起きたときに、経済学的に正当な方法として通貨の収縮策をとったとしたら、「大恐慌」以上の経済的混乱と悲劇を人々に齎してしまっただろう。
バーナンキは、大恐慌の研究家であり、金融政策の重要性を知悉している一人であることは、いまさら言い募る必要もないだろう。風見鶏で「反日」野郎で、クリントン大統領期の日本に対しての年次改革の首謀者、サマーズが、適任だとは思えないがねぇ。不況期に規制改革を勧めることの旗振り役だった連中の一派だ。現財務長官のガイトナーもルービン、サマーズ系の一派らしいからなぁ。