主に政治と経済について、思いついたことを語ります。リンクフリー、コピーもフリー
来年度の税制は一体、どうなるのだろうか。(2007年12月17日1時24分 読売新聞)
与党の税制協議会が、来年度の税制改正大綱をまとめた。昨年までは、大綱で打ち出された内容がそのまま法案になり、国会で与党の賛成により成立し、施行されてきた。
だが、野党が参院で多数を占めている現在、野党の賛成がなければ改正は実現しない。民主党は与党の大綱の中身に、多くの点で反対する姿勢を示しており、政府・与党の税制改正法案の審議は難航が必至だ。
与党の税制協議会が、来年度の税制改正大綱をまとめた。ということだが、財政の議論で常に思うことは、どっちもどっちだ、ということである。この読売の「社説」でも民主側がどうの、自民側がどうのという政策的な違いが論議される。それはそれで政治的姿勢の違いとして、社会認識の違いから「政策」の差が生まれるのだから当然の議論の差があってしかるべきことである。
自民が参議院選挙で大敗し、「改革」という自由主義の路線から「左巻き」の、すなわち「社民的」な政治的意味では「話し合い」の「民主主義」的路線に転換したのは衆目の認めるところであろう。また、小さな政府の首謀者であった小沢が「自由主義」を廃棄し、社会民主的な「生活重視」の姿勢を採ったのも「左巻き」の路線転換である。とどのつまりは、どちらも「社民」的な政策を打ち出さざるを得ないということである。
が、しかし・・・・。
税制は、国の財政や経済活動を支える“基本法”とも言える。与党大綱にも経済活性化のための減税や、生活に深くかかわる土地・住宅、金融・証券、道路関係などの改正が盛り込まれている。仮に廃案になれば、多方面に大きな影響を与えるだろう。
民主党は近く、独自の税制改正大綱をまとめる予定だ。与野党はそれぞれの案を示し、合意に向けて協議に入るべきではないか。与野党には、しっかりした税制をつくる責任がある。
与党の大綱は消費税を「社会保障費の主要な財源」と位置づけ、将来の税率引き上げに言及した。「新たな国民負担はすべて国民に還元する」と明記し、事実上、社会保障目的税とすることも打ち出している。
だが、引き上げ幅や時期の目安には踏み込めなかった。来たるべき総選挙を意識してのことだろう。
一方の民主党は、当面は消費税率を据え置き、その税収をすべて基礎年金の財源にあてるとしている。
今年度末の国と地方の長期債務は773兆円と、国内総生産(GDP)の1・5倍に達する見通しだ。社会保障関係費は、今後も毎年1兆円近く増え続ける。消費税率を引き上げずに、財政運営が可能かどうか。与野党とも、真剣に考えなければならない。
証券税制について与党大綱は、上場株の譲渡益や配当に対する優遇制度を縮小したうえで、約2年間延長するとした。金融所得の一体課税に向けた段階的な縮小は、妥当な措置といえよう。民主党案との方向性も、大きくは違わない。
道路特定財源の揮発油税などの上乗せ(暫定)税率では、10年間の維持を決めた与党と、税率の引き下げを唱える民主党の主張は大きく異なっている。
暫定税率の期限が切れる来年3月末までに折り合わないと、政府の予算に穴が開いてしまう。国民生活にも混乱が生じよう。残り時間は少ない。与野党で議論を急ぐべきだ。
税制は国の財政や経済を支える基本法であることは確かだろうが、財政を支える経済が大企業と中小企業での「格差」が益々開いていく現状があり、税収が上がらない経済の状態のときに「正常」な税制がとれるのか疑問である。
財政の租税収入と国債による財政の支持によって、借財が繰り延べされて国家財政が維持されている現状がある。これに筋道をつける方策を考えることの方が先決である。読売の記事にあるような「与野党とも真剣考えなければならない。」とか「与野党で議論を急ぐべきだ。」という政策の目的を「真剣さ」「議論を急ぐ」という議論のための「意思」にもとめることで解決する事態ではく、「意思」の形成に注力するという結論に終わってしまっている論説である。
政策について財政難を前提で「真剣」に「急いで」議論したところで、「政治」の範疇では、新「自由主義」的な政策か、「社民的」なそれかのどちらかの「方法」でしかなく、新自由主義的な政策は、財政負担を基本的に「国民」側に求めないことに傾くから、その政策が是とされ有権者には受け入れられる可能性が大きい。
それ故、小泉や安部などの「構造改革」=「自由主義」がコアな支持者には支持されたのであろう。が、自由主義は、自己責任や競争社会を是とする市場「社会」を支持、推進するから、社会民主的な相互扶助、是非はともかく「村落」的社会であった社会を解体する。市場の効率性を自由主義という政治思想が市場性を保障することにある。規制は撤廃され、扶助の「意思」も解体され「自己責任」が強調され、その理念が俗化された「手前勝手」な個々の「意思」が乱立する社会状態を招きよせるのである。
一方、社民的な政策を含意する福田政権や、民主党の社民的政策は、財政出動が大きい政策になる。社民的政策は家計や個人の負担増は当然の前提とする。政府からの「自由」は、極力排除され、社会への参加、またそれが俗化された形での「犠牲」が求められるのが社民の思想である。よって、消費税率の引き上げも視野に入れるのが社民の思想であり、国の財政は社会の財政という観念からその再建を企図することが当然な帰結なのである。消費税という税の制度は、広く薄く「社会」から税を採るものであるから、名目の経済成長、つまり、国民所得が増えている限り、社民的な税制として適格性がある。社会保障に使うには適した税制である。
福田自民も小沢民主も社会民主的な政策を採用していかなければ、国民経済が解体していくとの「認識」にあるのだろう。財政を固めるには、税収を上げることである。財政がままならないのは、機関としての国の収入が大きくならないからである。国の収入は、税率の依存する。名目の経済成長、すなわち国民所得に依存する。名目の経済成長による税収の確保は、社民的な政策を実行する上では必須の方法となる。
国の借財は、日銀法の改正をしてでも国債の大量の引き受けを実行すれば、借財は単純にちゃらになる。国債の日銀引受を述べると財政の規律が緩むからいけないということを述べる者たちがいるが、財政活動は何の目的のためにあるのかと問いたい。財政の規律のために、個々の生活があるのではない。個々の生活をより適正に且つ豊かにするために財政規律が必要であり、また、官僚、政治家がそれを守るためにあるのである。読売に代表される新聞メディアは「真剣」に「急いで」議論する方向を見誤っているのである。財政規律は、潤沢にある政府予算時=「完全雇用」下での国民経済時にこそ問題すべきである。それを問題視できないことこそ財政の規律に対する問題なのである。
また、日銀の政治的独立を侵すことになるという批判もある。が、しかし、日銀の独立は、何のためにあるのか、日銀は何のために存在するのかと問えば、答えは明らかである。国民共通の生活の安定のために存在するのであって、単に、造幣しているとか、市中の銀行を支配するためにあるのではない。日銀法は、一時的に凍結するという政治的な暫定判断があってこそ、「政治」の信頼と責任回復に資することになる。
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