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桜井 啓子 / 中央公論新社
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イスラム教はその経典であるコーランに偶像崇拝を厳しくいさめている。マホメットは預言者である「人間」であり、コーランは、アッラーの神の言葉であり、預言者を媒介にした聖なる経典である。アッラーとマホメットは、神と人間の関係でしかなく、宿命的予定説によって神と人間との差が規範として経典に述べられている。キリスト教は、信者の生活上の儀礼は述べていはいないが、イスラム教は、生活の規律を規範としている。一日の断食など、方角を限定した礼拝方法まで記してあるのが特徴である。そして、キリスト教と同じく集団救済のユダヤ教とは違って個人救済を基軸にしている宗教である。
 シーア派はイスラーム教の二大宗派の一つだが、信者は全体の一割に過ぎないシーア派。しかし、イラン、イラク、レバノンなどでは多数を占め、挑発的な指導層や武装組織が力を誇示し、テロリズムの温床とさえ見られている。政教一致や民兵勢力といった特異な面が注目されるが、イスラム教の偶像崇拝の厳格なる禁止が、シーア派には禁止事項とはならず、預言者を殉教者として崇拝し、また偶像礼拝がシーア派独特のものであり、殉教の意義が預言者崇拝とどのように重なり広まっていったかを「歴史的」にも示している。「本来」のイスラム教では墓廟の礼拝の宗教思想はない育たないはずであるが、墓廟参詣もシーア派独特のものである。その点も取材しているところが、桜井のイスラム学者の中でも異彩なところだろうか


 

「シーア派独特の儀礼さて、血統を重んじるシーア派にとって預言者ムハンマドの子孫は、特別な存在である。とくに預言者ムハンマド、娘のフアーチィマ、その夫で預言者の従弟でもあるアリー、それにこの夫婦のあいだに生まれた二人の息子ハサンとフサインの五聖人、あるいは、このあとに続くイマームたちも含めた一四聖人は、無謬で神聖な存在とみなされ、熱烈に崇拝される。彼らは、「お家の人びと」 (アフル・アル=バイト) つまり預言者ムハンマドの一族とも呼ばれ、歴史的存在を超越した宗教的な存在となっている。 これほどまでに特別な存在でありながら、一二人のイマームたちの生渡は、不条理なまでに悲劇的である。預言者の血筋を引く崇高な存在であるにもかかわらず、歴代のイマームたちは、悪と不正に満ちた現世を支配する暴君たちによって迫害され、軟禁され、殉教を遂げた。なぜ聖なる人びとがこのような運命に晒されるのか。シーア派によれば、預言者ムハンマドの一族が引き受けてきた不幸と悲しみは、彼らの信仰の証であり、彼らはこの世での苦難と引き換えに、来世での安寧を約束されているのである。 シーア派独特の儀礼 シーア派は、前記の一四人に加え、預言者ムハンマドの孫にあたるハサンとフサインの男系子孫を、とくに「サイイド」 (「預言者の子孫」の意)と呼んで崇めてきた。サイイドにあたる人びとが社会的な成功着であるとは限らないが、預言者ムハンマドの血統を通じて、神の恵み(バラカ)を受け継いでいるとみなされ、免税や減刑の対象となり、困窮するサイイドの生活支援にフムス 「五分の一税)が使われてきた。 氾濫するイマームの肖像画 厳格な一神教で知られるイスラームは、偶像崇拝に対してことさらに厳しい態度をとることで知られている。アッラーはもちろんのこと預言者ムハンマドでさえも、絵画や彫像として具象化することは許されない。同様の信仰から、モスクの装飾に人物柄を用いることを禁じており、代わりに「アラベスク」と呼ばれる幾何学文様や装飾文字が発達した。こうした考え方は、スソナ派とシーア派に共通のものではあるが、シーア派はスソナ派ほど厳格ではない。 たとえば、イランの国定教科書の挿絵では、預言者ムハンマドや歴代イマームは、具象化を避けるために、輪郭をおぼろげに描くにとどめている(一五ページの写真参照)。ところが巷では、歴代イマームの人物画、とくに初代イマーム、アリーと第三代イマーム、フサインの肖像画が氾濫している。なかには、預言者に選ばれる前のムハンマドの肖像を描いた特殊なものまである。 肖像画のほかには、一二人のイマームや五聖人をまとめて描いたもの、カルバラーで殉教した第三代イマーム、フサインの悲劇を再現したものなどが多い。油絵や絨毯などの工芸品から路上販売のポスター、ステッカー、カードにいたるまで、その種類は実にさまざまである。 理想の指導者アリー 神の絶対性・唯一性を強調するイスラームにおいて、本来は神以外を崇拝することは禁じられているのだが、実際にはイマームたちは、神聖な存在として崇められてきた。その資質について一二人のイマームに優劣はないが、信徒を惹きつけてやまないのは、初代イマムのアリーとその息子で第三代イマームのフサインである。とはいってもシーア派にとって、この二人が持つ意味は対照的だ。初代イマーム、アリーは、理想の指導者として、その生き方が人びとの模範となっているが、敗北を予期しつつあえて殉教を選んだ息子フサインは、理想の殉教者であり、その死に様が信徒の心をとらえている。それでは理想の指導者アリーは、どのような人物として記憶され、語られてきたのだろうか。前述したようにアリーは、預言者ムハンマドの父方の従弟にあたる。ムハンマドの愛娘ファーティマを妻に迎えたことで、彗量の娘婿ともなった。それだけでも十分に特別な存在したが、孤児となった預言者ムハンマドを、アリーの父であるアブー・ターリブが育てたことや、預言者ムハンマドが商人として独立した後、三〇歳あまり歳の離れたアリーを養育したということを考えると、二人の関係が、いかに近しいものであったかがわかる。(中略)「殉教の王子」 フサイン「殉教の王子」として知られるフサインは、預言者ムハンマドの愛娘ファーティマを母に、預言者の従弟アリーを父に持つ、預言者の孫にあたる人物だが、毒殺された兄の第二代イマーム、ハサンを継いで、六六九年第三代イマームとなった。伝承によれば、フサインは、信心深く、理想主義的で、現世欲のない高潔な人物である0フサインは、その妥協を許さぬ正義感ゆえ、父であるアリーの第四代カリフへの「臣従の誓い」を拒み、父の死後ただちにウマイヤ朝を開いて初代カリフとなったムアーウィヤの圧政やムアーウィヤの息子ヤズィードによるカリフ位の世襲を許すことができなかった。 そして前述のように六入○年、イスラーム暦六一年の第一月にあたるムハッラムの月一〇日、すなわちアーシューラーに、ウマイヤ軍と戦い、カルバラーの荒野で絶命した。 預言者の孫フサインの無残な死を目の当たりにした信徒は、フサインをクーファに招きながら、援軍も出せないままに見殺しにしたことに対する後悔と自責の意識に苛まれるようになる。フサインの悲惨な最期は、少数派として辛酸を嘗めてきたシーア派の宗教意識を根底から揺さぶり、党派的な運動を宗教的な運動へと転換させる契機となった。時を経て、フサインの殉教は、正義の実現に向けた戦いの過程で払われた俸大なる犠牲であり、それは神によってあらかじめ定められたものだったとみなされるようになる。人びとは、フサインの殉教を語り継ぐことによって、また儀礼を通じてフサインの悲劇を蘇らせて壮絶な戦いの目撃者になることで、時空を超えてイマームたちとの結びつきを新たにすることができると考えた。 あるいは、儀礼のなかでフサインが受けた屈辱と苦しみを疑似体験することで、イマームのために戦い、イマームのために死んだ着たちに与えられるのと同等の功徳が与えられると信じた。こうしてフサインの殉教を追体験することに救済的な意味が加えられていったのである。フサインのための追悼行進  シーア派は、第三代イマーム、フサインの殉教を悼むためのさまざまな宗教儀礼を編み出してきたが、とくに追悼行進は、地域社会が一体となって行う大掛かりな行事である。 ブワイフ朝(九三二~一〇六二)支配↑のイラクでは、王朝が後援する追悼行事も誕生し、九六三年のアーシューラーには、大勢のシーア派信徒が胸を叩きながらバグダードの通りを練り歩き、悲嘆にくれる見学の女性たちに水を求めたという。同様の儀礼は、その後各地のシーア派に広がったとされる。 現在行われている追悼行進は、地域によって多少の差はあるが、フサインの追悼施設(ホセイlTイェ、イマームパーラー、タキーイェ、マークムなど、地域によって呼び名が異なる)を起点とし、黒衣装の男たちが、時に胸元や背中をあらわにした恰好で通りに現れ、掌で胸元を叩きつけ、あるいは鋳の束で背中を打ちつけながら、悲嘆と後悔の表情もあらわに行進する。なかには額をナイフで切りつけ、血を流す者もいる。人びとは、カルバラーで戦うフサイン軍の有様を再現するために、当時を偲ばせるさまざまな品を持ち出す。行進の最前列を行く者たちは旗を担ぐ。簡素な旗もあれば、数々の装飾を施した大掛かりなものまであり、山車が引かれる場合もある0男たちに牽かれながら登場する白馬は、フサインの愛馬である。フサインとともに最期まで戦った愛馬には、血糊のついた経椎子が掛けられる。そのほかにも、フサインの遺体を収めた棺、カルバラーにあるフサインの墓廟の模型、フサインの愛児のゆりかごなども登場する。通りの両脇で行進を見守る女性たちは、男たちに砂糖水を配る。渇きに苦しみながら逝った人びとに思いをはせるために。現代のイランでは、太鼓叩きや朗諦師も行進に加わり、場の雰囲気を盛り上げている。朗諦師のエコー付マイクをつないだアンプには電飾が施され、幻想的な雰囲気を漂わせる。 人びとの衣装、太鼓のリズム、胸の叩き方、担ぎ出される品々は、地域によって異なるが、毎年、フサインの殉教日アーシューラーには、各地で盛大な追悼行進が行われる。行進は、アーシューラーの前からはじめられるが、フセインが絶命したアーシューラーの正午にクライマックスに達する。 殉教語り (ロウゼ・ハーニー) 第三代イマーム、フサインの殉教にいたる道程は、語り、劇、行進などのさまざまな儀礼を通じて後世に伝えられてきた。シーア派は、これらの儀礼に参加することで、フサインの殉教を追体験し、信仰を新たにする。「殉教語り」 (ロウゼ・ハーニー) は、クーファの民の誘いに応じて、メディナを出発したフサインと七二名の男子が、ウマイヤ軍に包囲され、渇きに苦しみながらカルバラーの荒野に果てるまでの有様に加え、残されたフサインの女・子どもがウマイヤ朝第二代カリフ、ヤズィードの待つダマスカスに連行される様を散文形式で詠ったものである。 追悼行進が屋外で行われる動的な儀礼であるのに対して、殉教語りは、説教壇に座った説教師を聴衆が囲むという静的なものである。朗諦師は、エピソードをつなぎ、語りのテンポや声の調子を巧みに変えながら、聴衆の感情移入を助ける。聴衆も朗謡師の語りに合わせ、フサインらの名を連呼したり、胸を叩いたり、すすり泣きをすることで場の空気を悲しみに染め上げていく。朗諦師と聴衆が一体となって、七世紀にカルバラーで起きた悲劇を再現し、その証人となるのである。  イマーム埋葬地への 「参詣」 シーア派にとって歴代イマームは、預言者ムハンマド亡き後の指導者であり、かつ神と信徒を仲介する神聖な存在でもある。イマームに与えられた神の恵み(バラカ) は、イマーム本人の墓だけでなく、イマームの兄弟や子孫の墓、イマームの遺品などにも宿っていると信じられている。イマームが埋葬されている場は、シーア派にとってはかけがえのない聖地であり、歴代イマームの墓廟に参詣することは、メッカ巡礼に優るとも劣らぬほど大切なものなのである。圧倒的な人気を誇るのはナジャフにある初代イマム、アリーの墓廟とカルバ17の第三代イマーム、フサインの墓廟である。このほかにもイラクのサーマッラーには、第十代、第十一代イマームが、カーズィマインには第七代と第九代イマームが埋葬されている。イランのマンュハドにある第八代イマームの墓廟は、イラン国内外から大勢の参詣者が詰めかける国際的な参詣地である。サッダーム・フサイン政権時代、イラクへの渡航が困難だったこともマンュハドの人気を高めた。 歴代イマームの近親者の墓にも多くの参詣者が詰めかける。コムには、第八代イマームの妹ファーテメの墓廟がある。メディナから、メルヴにいる兄アリー・リダーを訪ねて旅をしたファーテメ (?~八一六/七)は、九世紀初頭にこの地で客死した。シリアのダマスカスにある第三代イマーム、フサインの妹ザイナブ(?~六八二)の墓廟は、女性の信徒に人気がある。これらの墓廟は、規模が大きく立派である。定められた期間に参加者全員が同時に同じ儀礼を執り行うメッカ巡礼とは異なり、墓廟への参詣は、時間も形式も自由で、とくに女性の参詣者が多いのが特徴である。」  墓廟内には棺が安置されており、通常、棺は柵のようなもので覆われている。部屋の壁面に鏡細工を施した豪華なものも少なくない。人びとは、感情の赴くままにその柵に触れ、すがり、接吻することでそこに宿る霊カを身に受け、そのカを借りて私的な願い事を叶えようとする。何時間もとどまり、物思いにふけったり、コーランを詠んだりする者もいれば、部屋の片隅で世間話に華を咲かせる一団すらいる。参詣者は、イマームと向き合うことで、預言者一族に対する忠誠を新たにし、シーア派としてのアイデンティティをより確かなものとする。参加者一同が一斉にメッカの方角に向かって晩拝するモスクでの集団礼拝とはきわめて対照的である。これらの墓廟は、信徒が寄せる莫大な寄付や寄進地によって維持されてきた。また各地の墓廟都市は、参詣者の受け入れによって経済的繁栄も享受してきた。一九世紀末の記録によると、カルバラーやナジャフには、イランや南アジアからの参詣者が詰めかけ、その数は一〇万にものぼったという。イマームが埋葬されている聖地には、信徒のための巨大な墓地もできあがった。聖地での埋葬を願った故人の遺志を叶えようと遠路はるばる遺体を運び込む家族が絶えないのである。 シーア派が参詣するのは、イマームやイマームの近親者たちの墓廟に限られているわけではない。実は、シーア派の暮らす地域のいたるところに、小規模で、由来もさだかでないような墓廟が無数にある。比較的大きく、遠方からも参詣者が訪れるようなものから、土地の人以外に、存在すら知られていないような質素なものまである。農村部では、霊力が宿っているとされる樹木、泉、岩、洞窟なども信仰の対象になっている。」

 

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