川渕孝一・東京医科歯科大学大学院教授
国民皆保傾制度ができて45年。国民すべてが平等に医療を受けられるようにと、政治家も厚生労働省のお役人も頑張ってきたと思う。
でも、日本人が裕福になる中で医療現場を見渡すと本当に日本の医療は平等なのかという疑問が出てきた。 平等には、「機会の平等」「結果の平等」の二つがあるが、医療では結果の平等が大事だと思う。
でも、よく考えてみれば、医療の質は本当に全国均一なのかどうか。また、機会の平等は保険証一つで保証するといっても、結局は乗った救急車によって運命が決まってしまう。それを医師に尋ねると、「当たり前じゃないか」と言われる。看護師さんたちも僕の講演を開いて、「実はそうなんですよ」とうなずく。 東京には病院がたくさんあるけど、地方では病院を選べないんです。厚労省は「量的拡大から質的充実の時代に入った」なんていうけど、日本にはあまねく機会の平等があるわけじゃない。
団塊の世代はあと15年もすると、75歳になる。この年齢になると、有病率とか受療率がハネ上がる。そこそこ社会に貢献してきたこの人たちが、日本の医療水準、医療環境を知ったとき、あぜんとすると思いますよ。僕らはこんなところで死ぬために頑張ってきたのかと。みすぼらしい死に方をせざるをえない局面も多々あるでしょう。
最近、もう一つ特徴的なのが、医師不足の問題。自治体病院などは、建物こそ最近の建て替えブームでそこそこきれいだけど、肝心の医者がいない。小児科や産科が閉鎖状態という病院が散見される。僕は2005年に『日本の医療が危ない』 (ちくま新書)という本を書いたが、最近の状況を見て、それ見たことかと認識を強めた。勤務医の沈黙の抵抗というか、職場放棄が始まっている。
厚労省は病院の集約化ということで、そこそこ医者がいる病院に、患者を集めようとしている。一見正しく見えますがそこにいる医者はますます忙しくなってしまう。そうなると、「いち抜けた」「開業医になります」という連中が出てきて、天下の自治体病院の中が、スカスカになってしまう。
私はある市立病院の再建に関与しているが、数年前まで黒字だったのに、今や大学病院が医者を送ってこないため、存亡の危機に直面している。
厚労省はつい最近まで、「医者は余っている」「足りないはずがない」と言い続けてきた。その認識を前部は定員削減を続けてきた。医者を増やすと医療費が増えるというのが厚労省の認識なんです。ところが、この仮説はあやしい。医療費は増えているのに、医者が圧倒的に足りない。
それでも″大本営″は「医者が足りない」とは認めない。「偏在しているだけだ」と。絶対に誤りを認めないんです。 言うまでもなく、開業医には手厚く診療報酬の点数がついている。税引き前で3000万円くらいの年収。一方の勤務医は年齢にもよるが、個人所得1200万円くらい。夜勤は多いし、それでは割に合わないとなる。
最近では、医師会の方々も多少は救急の応援部隊を出すとか言っているが、依然として努力する医者は報われない。 もう一つ、見落としてはならないのは、厚労省が本気になって病院を潰し、病床数を減らそうとしていること。その手段が、看護料基準を使った兵糧攻めであり、療養病床の廃止・縮小なんです。病院を潰すことで、医療費を削ろうとしている。
悲しいかな、あまりにもたくさん潰れてしまって、必要なときに入れる病院がなくなってしまう、 2025年になって終の住処が足りないなんてことになるかもしれない。