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1月17日21時40分配信 毎日新聞  
 1970~80年代に巨人、阪神でエース格の投手として活躍した現日本ハム1軍投手コーチの小林繁さんが17日、57歳で急逝した。重心が低い独特の右サイドスローのフォームと、気迫あふれる投球でファンを魅了した「背番号19」が、突然、この世を去った。  
 小林さんは、全大丸から72年オフに巨人に入団。スリムな体から投げ込むキレの良い変化球が川上哲治監督(当時)の目を引き、74年には8勝を挙げて頭角を現した。  長嶋茂雄監督の就任2年目となる76年には、チーム最多の18勝(8敗)を挙げて、リーグ優勝に貢献。胴上げ投手にもなった。77年にも18勝7セーブ(8敗)と活躍し、最初の沢村賞を獲得した。  
 小林さんの野球人生に大きな転機が訪れたのは、79年1月31日。いわゆる「空白の一日」騒動で、江川卓投手の交渉権を得た阪神は、トレードの交換相手として小林さんを指名し、小林さんは春季キャンプに出発直前に、羽田空港から球団に連れ戻され、トレード通告を受けた。小林さんは「野球が好きだから阪神に行く」と話し、「同情はされたくない」と言い切った。潔い姿は野球ファンの大きな共感を呼び、人気は高まった。  
 移籍1年目の79年シーズンは自己最多となる22勝(9敗)を挙げて、初の最多勝利投手となるとともに2度目の沢村賞を獲得。特に因縁の巨人に対しては無傷の8勝と圧倒的な強さを見せた。当時、同僚だった阪神・真弓明信監督は「(巨人戦は)ムキになっていた。後ろから見ていても『絶対勝つ』という気で投げていると感じた」と振り返る。  
 その後も毎年2けた勝利を続けたが、13勝14敗1セーブに終わった83年10月、突如として現役引退を表明。「気力がなくなった。引き際を大切にしたい」と31歳の若さでユニホームを脱いだ。通算成績139勝95敗17セーブ、実働11年の短さだったが、記録以上にファンの記憶に残った。  
 引退後は野球評論家を経て、97年~2001年には近鉄(現オリックス)で投手コーチを務めて01年のリーグ優勝に貢献。梨田昌孝監督(現日本ハム監督)、当時の打撃コーチ・真弓監督とともに「男前三人衆」としても話題になった。01年に近鉄のユニホームを脱いだ後は、事業に失敗して自己破産も経験したが、昨年、盟友の梨田監督のもと日本ハムの2軍投手コーチに就任。今季は1軍投手コーチとなったばかりだった。また07年には日本酒のテレビCMで江川さんと共演し、話題を呼んだ。【田中義郎】   
 【略歴】 こばやし・しげる 1952年11月14日、鳥取県生まれ。由良育英高(現・鳥取中央育英高)から社会人野球の全大丸を経て72年に巨人入団。76年から2年連続で18勝を挙げるなど活躍した。79年に阪神に移籍し、その年に自己最多の22勝。83年に現役引退。97~01年に近鉄(現オリックス)で投手コーチ、07年に韓国プロ野球SKで2軍投手コーチを務め、09年から日本ハムのコーチとなっていた。  
 【ことば】▽空白の一日▽ 1978年の新人選択(ドラフト)会議前日の11月21日、前年のドラフトでクラウンライターから1位指名を受け、入団を拒否して米国留学していた元法大の江川卓投手と巨人が契約。クラウンライターから球団を引きついだ西武の交渉権は20日に喪失し、21日は拘束されないと巨人は解釈して契約に至った。これをセ・リーグは無効としたため、巨人はドラフト会議をボイコット。江川は4球団から指名され、阪神が交渉権を得た。事態は紛糾したが、当時の金子鋭コミッショナーがキャンプインまでのトレードによる解決策を「強い要望」として出し、79年1月に阪神が江川投手と契約、巨人・小林繁投手とトレードされた。

  まさかとは思ったが本当に急逝したのか。さぞ江川の心中は複雑だろう。巨人戦に敵愾心むき出しの 小林の投球は、自分を放出した巨人を倒すという遺恨と巨大な支配力と戦うという抵抗の姿に見えた。その姿ははたから見ていても才能の塊の江川と能力では劣るが気迫と修練の塊の小林の剥き出しの戦いだったように思え、野球を見るというより、気概と意地の争いが演じられているように映った。

 背景には、阪神と巨人のフロントの密約があった。スポーツは、真剣勝負であればあるほど、「公平性」と戦う相手が必要な競技である。戦う相手が存在しなければ、成立しないのである。プロ野球であれば、球団が存在しなければならなない。そして興行が行われる。その興行主同士が、およそ公平だとは思われない密約によって、トレードを敢行したのである。小林が怒りを抑え「公平性」保障される場、球場で巨人に戦いを挑む姿が、痛々しくも凛々しく映った。

 細い体を屈曲し、サイドから投げる姿が、必要以上に記憶に残ったのもそのためだろう。 小林繁の「生き方」までも写し取っている姿に見えたといえば、誇張のきらいがあるかもしれないが、あの電撃の「空白の一日」というプロ野球の悲劇を背負った投球だったとは言えるだろう。その悲劇は、ストレートとカーブだけで相手を抑えるという江川卓にも、球場以外での「人」としての屈折感と「忘れることができない」という錯綜した人生観も引きずらせることになった。二人の屈折したヒーローが生まれ、その一人が急遽、人生を失った。合掌

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