「アジア経済の発展には限界があり、九〇年代には、これまでのような高い成長を続けることは困難になっていた。一〇%の成長が、水遠に続くことは、いかなる経済でもあり得ない。日本の場合を見ても、成長率は徐々に低下し、六〇年代の一〇%成長から九〇年代にはついに一%成長となってしまった。
しかし、アジアの国々は日本の停滞とは違う。アジアの経済に生じたことは、日本のように徐々に停滞するのではなくて、一九九七年中の突然の失速だった。 なぜ、高い成長を続けてきたアジアが危機に襲われたのか。この危機が、金融政策の失敗と金融構造の脆弱性から生じたことを明らかにする。 金融政策の失敗とはバブルを引き起こすような金融緩和を続けたことであるが、なぜそのような金融政策を行ったのか。また、アジアはなぜ危機をもたらすような弱い金融構造を持っていたのか。
(中略) また韓国、フィリッピン、インドネシア、マレイシアなどについて原田は続けて以下のように本書で述べる。金融政策の失敗がもたらしたゆがみ
▼遅れた金融政策の転換 東アジア諸国は、長期的な成長を続けてきた。とくに一九八〇年代の後半からは、日本を中心とする直接投資のブームによって成長の加速があった。しかし、九〇年代央になると、海外からの資本流入の中心は、直接投資の流入に代わって対外借入、証券投資に移っていた。同時に、経常収支赤字の継続、累積債務の増大などの歪みが日立つようになっていく。
このような状況では、景気を引き締め1成長をスローダウンすることが必要なはずである。ところが逆に、多くの国で金融緩和は続き、景気は過熱気味となっていた。 金融政策をマネーサプライの動きでみると、今回のアジア通貨危機の影響が大きかったインドネシア、タイ、マレイシア、フィリピン、韓国においては、九〇年代央の伸びが九〇年代初に比べて大きい傾向がある。すなわち、より危機の影響の大きかった国では、抑制的な金融政策のへ転換が遅れていた。一方、影響が相対的には小さい台湾、香港、シンガボール、中国においては、九〇年代央の伸びが小さくなっている。▼高騰した資産価格
高い成長と金融緩和もあって株価が上昇し、国によっては活発な不動産投資が行われた。 東アジアの国が総じて不況であった一九八五年を起点として、いずれの国の株価も九〇年代初期のピーク時には、一〇倍前後にまで上昇し、フィリピンでは二〇倍以上に上昇した。 株価は九六、九七年以降暴落しており、ピーク時の株価はバブル的なものであったと思われる。 オフィス需給状況を見ても、九〇年代には、とくに、バンコク、ジャカルタなどでは、空室率が一〇%以上と高い中で、供給の増加が続いていたことから、バブル的な投機が行われたのではないかと思われる。 こうした面からも、より大きく通貨危機の影響を受けた国で投機的な不動産投資が行われ、これが不良債権となって金融機関の破綻をもたらし、危機のあとの急激な金融収縮を 招いたと考えられる。 では、なぜ東アジアの国々では、必要であったはずの金融緩和の抑制ができなかったのだろうか。▼資本流入がもたらしたマネーサフライの増大
東アジアのほとんどの国では、自国通貨をドルに固定するか、もしくは自国通貨の変動幅を一定の範囲にとどめるような政策を採用していた。このような状況で外資が流入すると、自国通貨の増価圧力を受けることになる。自国通貨を上昇させないためには、中央銀行がドルを買って資金供給を拡大するような為替介入を実施する必要があった。こうした為替介入の結果、各国ではベース・マネー(現金+中央銀行預り金) が増大することとなった。 実際、東アジアのほとんどの国で、中央銀行の外貨建て資産が増大するとともに、ベース・マネーが増大しており、これが信用乗数過程を経て、マネーサプライを増大させることになった(図表312)。 ただし、国によって、中央銀行の外貨建て資産とベース・マネーの動きには多少の相違がある。通貨危機の影響が相対的には小さかったシンガポールや台湾のみならず、影響の大きかったタイ、インドネシアでも、外貨建て資産の増大に比べてベース・マネーの増大は小さかった。これらの国々では、ベース・マネーの増大を抑えようとしていたようである。 たとえば、タイでは、中央銀行の外貨建て資産が九〇年の三六〇六億パーツから九七年には一兆七五二億パーツに急増したが、ベース・マネーは九〇年の一八五八億パーツから九七年の四九五〇億パーツに増加したにとどまった。しかし、外貨建て資産の増大はあまりに大きく、中央銀行が不胎化政策を行うのにも限度があった。 これは、実質上ドルにほぼ固定した為替政策を採用している限り、マネーサプライのコントロールは、ほとんど不可能であることを示している。▼なぜ多額の資本流入が起こったのか
ここまでで、一九八〇年代後半から九〇年代央にかけて行われた東アジア諸国への急激な資本の流入が、ベース・マネーの大幅な増大をもたらし、それがマネーサプライを増大させることになり、金融緩和を継続させ、必要な調整を遅らせたという関係が明らかになった。 では、なぜこの時期に、急激に資本が流入したのか。
その理由としては、次の三点が考えられる(図表3-3)。 まず第一に、高い経済成長率が続いていたこと。 第二に、外資の流入を促進するために資本流入規制の緩和を行っていたこと。 第三に、固定的な為替レート制度のもとで、インフレ期待や高成長を反映して名目金利 が国際的にみて高かったことである。これは、為替レートが固定的で、為替リスクが少な いと思われていたこととも関係している。 次に、この三つの要因について、さらに詳しく見ていくことにする。①・・・・・・高い経済成長率 東アジア諸国は、先進工業国やほかの途上国に比べて成長率が高く「世界の成長センター」と評価されてきた。こうしたことが、海外の投資家に 「東アジアのビジネス・チャンスが拡大し、投資の期待収益率が高まっている」という認識を与えたと考えられる。 海外の投資家たちは、競って東アジア諸国へ投資を行うようになり、八〇年代後半から九〇年代央にかけて、東アジアに海外からの資本が引きつけられた。
②・・・・・外資流入規制の緩和 ASEAN諸国を中心に、八〇年代後半から、資本流入に対する規制を緩和し、資本市場の整備・育成と強化をめざす政策が急ピッチで採用された。このような動きは九〇年代に入ってからも続き、たとえば韓国では九三年に、各種の外国為替取引に関する資本取引制限を段階的に撤廃する外国為替取引自 由化計画が発表された(図表3-4)。 また、ASEAN諸国におけるオフショア市場の設立も、このような多額の資本流入を招いた要因の一つである。オフショア市場とは、非居住者が自由に資金を調達・運用できる国際金融市場で、資本取引に対する税制上の優遇措置が設けられている。このような市場の創設により、ASEAN諸国の企業は、長期の設備資金を海外からの直接投資などで調達しつつ、短期の運転資金もオフショア市場を通じた海外からの低利の資金によって賄えるようになった。また、資本取引に対する税制優遇措置も、多くの資本を引きつけた。
例をあげると、以前から国際金融センターとして機能していた香港やシンガポールに加え、九三年にはタイにバンコク・オフショア市場(BIBF:Bangkok International Banking Facilities)が創設されている。BIBFでは、海外から預金や借入の形で調達した短期の資本を、国内に貸し付けることが認められていた。そのため、BIBFの創設 は短期の資本が流入するきっかけとなつた。また九〇年には、マレイシアのラブアンにもオフショア市場が創設されるなど、東アジア諸国では、資本の流入を積極的にうながす政策がとられてきた。但し、中国では、資本流入規制を緩和せず、直接投資に強い優遇措置を講じたため、外資の調達形態は直接投資が中心になった。これは、中国への通貨・金融危機の影響が相対的に小さかった要因である。③・・・…固定的な為替制度と内外金利差の拡大 資本の流入を一段と促進したのが、固定的な為替制度のもとでの大幅な内外金利差の存在である。多くの東アジア諸国の通貨は、公式の為替制度に違いはあるものの、実態上は、八〇年代から対米ドル・レートの維持がなされていた。こうした政策は、日本など先進国の企業が直接投資を行い、また現地生産を行ううえでの為替リスクを軽減させるという意味があった。東アジア諸国は、大幅な内外金利差によって、さらに外資を呼び込むことが可能だと考えたのだろう。 一方、東アジア諸国の名目金利は、いくつかの国では、国内の高いインフレ率を反映して、国際的に見ると高い水準で推移していた (もちろん、労働に比べて資本が不足していることや、投資機会が豊富であるがゆえの実質的な高金利分も含んでいたとは思われる)。とくに、ASEAN諸国、韓国では、国内の名目金利は、アメリカの名目金利に比べ数%から一〇%ポイント高くなっており、大幅な内外金利差がある状況が続いていた(図表3-5)。 このように金利がアメリカに比べ高い水準にあった国では、高い金利を求めて海外の投資家による資本の流入が続いた。しかし、ここで得られる高い収益率は、為替レートが変化しないことを前提にしている。流入する資本は、為替レートの下落を予想したときには、すぐさま流出できる短期の資本になる。 実際、東アジア諸国に流入する資本は、インドネシア、タイ、韓国でみられるように、次第に短期のものが大きくなっていた(図表3-6)。この短期の資本が流出するときには、九七年に実際に生じたように、急激な為替の減価圧力を受けることになる。
▼通貨バスケット制の効果 なお、九六年以降のドル高局面で、実質上、ほぼ米ドルに固定されていた東アジア諸国の通貨が過大評価になったことから「実際の貿易相手国別の貿易ウェイトに沿った円・ドル通貨バスケット制がとられていれば、今回のような危機を招かなかった」との議論があるが、ほんとうにそうだろうか。 タイは、変動相場制に移行した九七年七月以前は、公式には通貨バスケット制を採用していたが、バスケットの中身は米ドルに極端な比重を置いていたと言われる。確かに、実際のパーツの変化率からバスケットのウェイトを推計すると、米ドルの比重は八割と高かった。しかし、円のウェイトを現実の貿易ウェイトに高めた場合のパーツの加重平均レートを試算すると、今回よりももっと早い時期に、通貨が大幅に割高となる。これは、九〇年代初の円高局面で、パーツの実効為替レートが引き上げられるからである。 したがって 通貨バスケット制にしておけば、通貨危機は起きなかった」ということはできない。(「アジア通貨の安定と通貨バスケットペッグ制」経済企画庁『経済月報』一九九八年四月号)。ただし、通貨バスケット制にしておけば、通貨危機は九〇年代初頭に生じ、早めに起きたがゆえに傷が浅くてすんだ可能性はある。 ▼国定レート制とワシントン・コンセンサス 固定的な為替レート制は失敗だった。事実上の固定レート制を維持したままでマネーサプライの増加を抑制すると、金利が上昇し、さらに資本の流入を招くというメカニズムが働く。このような悪循環を断ち切るためには、固定的な為替政策から脱却すべきであった。 東アジアの国々は、なぜ、そうしなかったのか。 東アジア諸国が、事実上の固定レート制もしくは為替変動を一定範囲に抑えるという政策に固執したのは、為替レートの安定が経済発展をもたらすという、いわゆるワシントン・コンセンサスに影響されたからだと考えられる (ワシントン・コンセンサスについては、ポール・クルーグマン 『クルーグマンの良い経済学 悪い経済学』日本経済新聞社一九九七年 第9章参照)。 たとえば、タイなどでは、ワシントンに本拠地がある世界銀行やIMFなどの機関から外資を受入れることで、高い経済成長を達成できるという「ワシントン流の考え方(いわゆるワシントン・コンセンサス)を啓蒙されていた。
確かに、世界銀行の研究によれば「固定レート制は海外からの資本流入を増大させ、海外資本の流入が投資を増大させる」という関係がある。しかし、海外資本の流入が投資効率を低下させるという面もあり、資本流入が必ず成長を促進するかどうかには疑問がある(図表3-7)。これは、今回の東アジアの経験からも言えることである。流入した外資の少なくない部分は、将来の返済のための外貨を稼がないような非効率な用途に向けられたからである。固定レート制は確かに海外からの資本を呼び込むが、呼び込むべきでない質の 悪い資本をも呼び込むものなのである。 もちろん「ワシントン・コンセンサス」以外にも、固定レート制に固執した大きな理由は考えられる。事実上の固定レート制は、それが永久に続くという期待を抱かせる。その期待のもとで、低い金利のドル資金を調達し、それを投資する多くの銀行や企業を生み出した。そのような銀行や企業は、自国の為替レートが下落すれば多額の為替差損を負い、経営困難に陥ることが予想できるので、政府は為替レートの変更が困難になる。しかし、政府が、無限に為替リスクを負担できない以上、いずれ為替の変化は必然である。 政府が固定レート制に固執すればするほど、いざ、固定レート利から離脱するときの為替変動幅は、より大きなものとならざるを得ない。そして、その変動幅が大きければ大きいほど、反対も大きくなる。 東アジア諸国にはどんな金融政策が求められていたか▼安定的な金融環境の維持
一九九〇年代央の東アジア諸国では、それ以前の力強い健全な発展がバブル的なものになっていく中で、巨額の外資が流入し、金融引締めが困難な状況になっていた。そのことが九七年央のアジアの通貨・金融危機をもたらすこととなったのである。金融緩和によってもたらされた金あまり状況が、リスクを無視した冒険的な投資を促進する状況をつくり出し、海外からの潤沢な資本流入がその状況を加速した。
誤った過剰投資に不安が持たれ、流入した外資、とくに短期資本が逆流したとき、通貨 は急落し、不良債権は積み上がり、金融は危機的な状況に陥った。では、東アジアは、過 剰な資本の流入を抑制するために、どのような政策をとるべきだったのか(図表3-8)。 まず必要なのは、安定的な金融環境の維持である。金融緩和による金あまり状況が、冒険的な投資を促進することは、八〇年代後半の日本の経験から考えても明らかである。 また、東アジアの国をみても、九〇年代央にマネーサプライの伸び率を抑制していた国は 今回の通貨・金融危機の影響が小さくなっている。安定的な金融環境をつくるためには、金融政策の自由度を高めなければならないが、そのためには、為替制度の選択が重要である。
▼変動相場制の採用という選択
固定レート制度のもとでは、外資が流入すれば、必ずベース・マネーを増大させ、金融を緩和させる。そこで、金融政策を安定的なものとするためには、固定的な為替レート制度ではなく変動相場制度を採用すべきである。日本の経験でも、八〇年代後半の円高を阻止するための金融緩和が、その後のバブル発生の一因となったと指摘されている (経済企画庁『経済自書』一九九三年版 第2章第5節)。
変動相場制度は、リスクを十分に考慮しない外国資本の取入れを抑制するうえでも重要 である。米ドルとの固定性を維持する為替政策は、投資家に「政策当局が為替リスクを受けもってくれる」という期待を生み出した。八〇年代から通貨価値が米ドルで維持され、それが今後も維持されるであろうという見通しのもとに、外資が流入してきた可能性が高い。
変動相場制の採用は、投資家がリスクを認識するうえで有効であり、過剰な資本流入も 抑制されただろう。▼外資流入規制のあり方
タイのあるエコノミストは、アジアの通貨危機をビューティ・クィーン・シンドローム (美の女王症候群) だと形容する。美人コンテストで女王になった女性で、幸せな人生を送った人は少ない。あまりにも多くの男性が言い寄ってくるからだという。 美の女王とは、過去の高成長からエマージング・マーケットともてはやされた東アジア 諸国、言い寄ってきた男性とは海外資本とくに短期資本である。 美の女王が幸せな人生を送るためにどうすればよいか。 ①言い寄る男を近づけなくする、②男にリスクを負担してもらう、⑨言い寄る男を見極 める目を養う、と三つの方法が考えられる(図表3-9)。
①外資流入規制 この方法は、外資を規制して近づけなくすることである。ただし、資本といっても一様ではない。資本取引のうち、直接投資については、国内の投資を増加させる効果生産能力を拡大させる効果、資本に体化された技術を移転させる効果などがあり、また当然のことながら債務的な性質を持たない。一方、証券投資 (株式購入を除く)対外借入については、資金を調達した企業は期日までに返済義務を負うことになる。
この観点に立てば、今回、通貨・金融危機に見舞われたASEAN諸国、韓国などにおいても、直接投資のみを選んで取り込むことが、危機回避のうえでも望ましい政策だった。
しかし、現実には多くの国が外国人(外資系法人)による現地企業の株式取得に対して制限を設けるなど、直接投資についての十分な規制の緩和がなされていなかった。これは、ナショナリズムの観点から正当化された政策であったと思われる。
一方で、株式取得を除く海外との資本取引は、八〇年代後半から自由化された。アジア は、より危険な海外資本を選んで、その流入を促進していたことになる(前掲図表3-4)。
また、借入および証券投資を長期、短期に分ければ、長期資本のほうが、より危険が小さい。実際、短期性の資本に頼っていたタイや韓国が、より大きな影響を受けている。
短期資本の流出入は、外貨準備を急減させるなど、今回の東アジアの通貨・金融危機を もたらした直接の原因であると言われている。長期、短期という投資期間に応じて流入す る資本を厳密に選別することは現実には困難である。しかし、便宜的にごく短期の資本流 入に対し、課税を行ったり、中央銀行への準備積み立てを義務づけるなど、短期資本の増大を制限する措置をとることはできるし、そうした施策をとった国がある。【チリの短資流入規制の経験】 短期性の資本流入規制がうまくいった事例として、よくとりあげられるのがチリの事例である。チリでは、短期性の資本流入を抑制するため、流入する外国資本に対して、チリ中央銀行に一定比率の準備を義務づける制度がとられた。
軍政から民政へ移行した九〇年代に入り、チリ経済は七%台の高成長をとげたが、今回東アジア諸国で危機をもたらしたような、短期資本への過度の依存は生じなかった。一方、直接投資など長期の資本流入に対しても門戸が開かれており、流入する資本の構成は安定したものとなっていた。
実際、チリの対外借入をみると、九〇年から九六年にかけて、長期債務は約五七億ドル増加しているのに対し、短期債務は約三六億ドルほどしか増加していない(前掲図表3-6)。
東アジアでも、マレイシアでは、資本流入が大幅に拡大した九四年に、短期資本の流入抑制策を講じている。マレイシアは、タイやインドネシアなど、今回危機に陥った諸国と比べ、短期資本の依存度は小さくなっている(前掲図表3-6)。
このような短期資本の流入規制は、突発的な危機の発生を防止するうえでは有効であると考えられる (ただし、チリは、アジア経済危機以来、資本流入が減少し、資金不足に陥る懸念が生じていることから、九八年九月、短資規制制度の運用を停止した。日本経済新開一九九八年一〇月一四日)。しかし、企業が調達する資本の期間構造を人為的に規制することには、それなりのコストがあるはずだ。また、本来、資本を調達する側の企業および銀行は、獲得できるキャッシュフローの期間構造を考慮して資金を調達するべきなのに、 それをしていないことが問題である。 民間企業が非合理な資金調達をしているのは、いざというときには政府が救済することを期待するモラルハザードがあるためだと考えられる。現に、3節に述べるように、ASEAN諸国や韓国の銀行や企業では、そのような行動が広範に観察される。
②・・・外資のリスク負担 これは言い寄る男にリスクを負担してもらう方法である。外国投資、海外への貸付におけるリスクを大別すると、為替リスクと信用リスクに分け られる。前者は、為替変動にともなうリスクであり、異なる通貨で投資・貸付を行う場合には必ず生じる。一方、後者は資本を受入れる国の政治状況、政策変更や債務の返済停止といったカントリー・リスク、個々の貸付先企業の倒産や業績悪化にともなう返済不能の可能性などのリスクである。
為替リスクについては、変動相場制度を採用することで、資本の貸し手側がドル建てで借り入れている企業のリスクを認識することになり、投資家側の誤った認識を避けることができる。
信用リスクについては、直接投資の促進や破産法の整備によって、海外投資家にリスク負担を分散させることができる。直接投資については、国内の投資を増加させる効果、生産能力を拡大させる効果、資本に体化された技術を移転させる効果などがあり、また当然のことながら債務的な性質を持たず、事業の失敗のリスクは海外の投資家が負担すること になる。
③・・・・・・金融監督の強化 これは、男を見る目を養うように、リスクを見極める力を高めることである。アジアにおいて、金融監督の強化を提言する日本のエコノミストも多いようだが、日本も大失敗なのに、アジアに教えるノウハウが日本にあるのか疑問である。 金融監視体制の不備は事実であるが、監視などなくても、不良債権を作れば損失を被るのは金融機関自身である。本来、監視というのは「自分の利益になることをさせないため」に行うものであるのに「自分の不利益になることをしないように」監視するというのは奇妙な言葉の使い方である。
東アジアの銀行を中心とした民間企業が、過去に繰り返し救済されたことが、海外投資家のリスク認識を誤らせたものと思われる。金融機関破綻処理のスキームが、自国の銀行を救済しないこと、過度に外国投資家を保護するものとならないようにすることが必要である。破産法の整備によって、借り手側企業の責任が、国際的にみて十分厳しく、同時に過度に厳しく追及されることのないようにすること、かつ、その処理が迅速になされるようにすることが必要である。
「この点について、ASEAN諸国をみると、マレイシア、インドネシアでは、国営の銀行や企業が多く、政治的要因から倒産させにくい。当然、これらに対する過剰な優遇措置があっただろうと考えられる。 ただし、マレイシアの場合は九〇年代に直接金融比率が上昇していることから(前掲図表3-11)、インドネシアに比べれば、今回の通貨下落の影響が小さかったのかもしれない。
また、タイでは、政府が銀行の倒産防止に強い関心をもっていた。とくに八三~八四年 における景気後退と八四年のパーツ切下げの際に、緊急信用政策として流動性供給を行い、 銀行を助けた。
フィリピンにおける八〇年代前半の累積債務問題とその後のIMF支援受入れはよく知られている。フィリピンでは、第二次オイルショックと、八十一年に企業家D・ディーが六億ペソにのぼる巨額の負債を残して国外逃亡したことに端を発して、マネー・マーケットにおける投資家の信用の失墜により経済危機が発生した。この際に、政府がなかば無制限の救済措置を講じた。これが、外国からの借入を増加させ、対外債務危機を招き、八四年にはIMFの支援を受けることとなった。 フィリピンはその後、IMF支援受入れ後の混乱や、政情の不安定などがあったものの、金利自由化やユニバーサル・バンク制度の導入などによる銀行間の競争促進、安定志向の厳格な金融政策の実行などにより、銀行や企業のモラルハザード防止や対外債務危機の再発防止の努力を行ってきた。こうしたこともあり、九七年の通貨の大幅下落の際にも、経済は危槻的な状況には陥らなかった。【ASEANでも一般にある中央銀行からの補助金】 中央銀行から民間銀行への「暗黙の補助金」についてみると、ASEAN四か国とも同様の政策をとっている。 実際、この四カ国のうち、インドネシアを除く三か国では、長期的に公定歩合がコール市場金利より低く設定されていた。このうちフィリピンは、タイ、マレイシアに比べ補助金の割合は大きいが、これは八〇年代末から九〇年代初にかけての不況期に、中央銀行から民間銀行に補助を与えたからである。
インドネシアでは、公定歩合自体は市場金利より高いものの、中央線行から国営銀行への貸出とそれにかかる金利は、相対交渉のもと優遇的に低い水準で決定され、銀行は中央銀行の割引窓口を介さず、直接優遇貸出を受けていた。この中央線行からの直接優遇貸出は、八〇年代には商業銀行への全貸出量の三~四割を占めるほどの大きさであり、相当の補助金が与えられていたと考えられる。▼「他人の金 資本主義」がもたらした危機 東アジアの国々の金融構造は多様であり、企業の資金調達構造において、自己資本を重視した安全性の高い財務構造をもつ国とそうでない国がある。
安全性の低い財務構造をもつ国では、政府や中央銀行がたびたび企業や銀行を救って来た。このことが、企業が脆弱な財務構造をもつことを助長してきたのである。
資本主義には「自分の金 資本主義」と「他人の金 資本主義」の二種類の資本主義がある。台湾は前者だが、韓国は後者の典型だった。他人の金が政府や中央銀行の資金であれば、モラルハザードもまた大きなものとならざるを得ない。
東アジアの中で「他人の金 資本主義」の傾向が顕著であった韓国、タイ、インドネシアでは通貨危機の影響もまた大きいものだった。巨大な外資の逆流が生じたとき、これらの国の政府は、脆弱な財務構造をもつ企業や銀行の救済には、まったく無力であった。 韓国の政府と財閥の関係を端的に表現すれば「財閥が危機に陥いるたびに、政府は中央銀行に命じて、これを救ってきた」ということである。要するに、中央銀行はウォン札を刷って、財閥を支えたのである。しかし、韓国の中央銀行は、ウォン札を刷れてもドル札を刷ることはできない。財閥が海外からドル建てで借り入れている場合には、韓国の中央銀行は、当然のことながら、まったく無力だったのである。」