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松本 清張 / 文藝春秋
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 戦前の軍部は、新政府の長州族と薩摩族の対立抗争と民間の会津族などの反政府族によって演出された。族の解体と同時に進行したのが近代国家的体裁が出来上がった時点で、列強の近代国家群の「日本」を取り巻く情勢の中、近代国家へので明治、大正の「歴史」を潜り抜け、昭和の初期に軍部、特に陸軍は皇道派と統制派の対立にいたった。 
 日本陸軍においては皇道派と統制派が対立し、1931年、浜口内閣の時に、統制派桜会による三月事件という軍事クーデター未遂事件がおきる。桜会(さくらかい)とは、大日本帝国の改造を目指して1930年(昭和5年)に結成された統制派の秘密結社である。

 日本の将来を危惧し、政党内閣を廃して軍事政権を樹立する構想を抱いていた参謀本部の橋本欣五郎中佐、長勇(ちょう いさむ)少佐らは、1930年(昭和5年)9月、国家改造と満蒙問題の解決を目的として桜会を結成。参謀本部や陸軍省の中佐以下の中堅将校100余名が参加した。

 1935年7月の皇道派の真崎甚三郎教育総監の更迭問題が起こる。統制派の永田鉄山の権勢は、陸軍内部では確立されつつあった。一流料亭で、天下国家の議論が、統制派内では、頻繁にされていたようでもある。林銑十郎陸軍大臣から教育総監の辞職勧告を通告されると、皇道派の真崎は統制派の永田鉄山の陰謀と反論する。
 永田は陸軍のホープであり、近く全軍を率いる地位につく人物であった。永田が生きていたらその後の陸軍はまったく変っていたと極言するもさえいたほどである。
 
 皇道派の相沢三郎陸軍中佐は、その永田鉄山陸軍局長を陸軍省で斬ったのである。永田という人物と軍務局長という職柄とを一挙に斬った相沢は永田派、統制派(幕僚派)からは狂人扱いされ、皇道派(青年将校)からは偉大な先覚者、志士として称えられた。皇道派と統制派の陸軍内部に亀裂と対立を深くした事件が、相沢事件なのであった。相沢事件が、軍法会議に持ち込まれると皇道派と統制派の対立は更に深くなった。青年将校派、皇道派は法廷闘争を試み、この裁判を維新運動の橋頭堡にしようとし、幕僚派、統制派は、皇道派を断固として圧殺しようと決意した。そして相沢公判のひとつの山場である、真崎が証人として出廷した36年2月25日の翌日2・26事件が勃発したのである。

 
■皇道派の犯した2・26事件について、内から抉った論述が、清張節によって語られる。民間の北一輝、西税、それと対立する大川周明達の一派、青年将校の磯部浅一、安藤輝三大尉意、栗原安秀中尉、などなど2・26事件の思想と情念や血気、義憤、情、に対する態度が、人物を経た動きが語られている。安藤大尉のクーデターに参加すべきかどうかの葛藤は、生なましく兵を預かるものの責任、清冽な責任と社会に対する義憤の相克が丹念に描かれている。清張は、こういった「責任」の引き受け方が、「人間」くさい人物を描くのが得意であり、また絶妙な性格分析がなされる。
 ■当時は1919年の一次世界大戦の参戦国の貿易は激化し、日本は20年に一億円の貿易赤字に陥る。輸出という外需が減少したため、21年の卸売物価変化率は前年の10パーセントからマイナス22.8パーセントまで低下。その後23年、24年及び28年を除いて31年まで卸売物価は低下し続けた。需要の減少による物価の持続的低下という典型的デフレ不況が1920年代の十年間も続いたのである。1930年井上蔵相は旧平価での金輸出解禁に踏み切り、財政政策を緊縮型に転換する。為替レートの切り上げを伴う金輸出解禁によって貿易収支の悪化が予想されたからである。この政策は、内需を抑制し、生産の増加率を落とし、生産のために必要な輸入を減らす必要があると考えたから行われたのである。
 圧倒的な議席を有する民政党を率いる浜口首相は、大衆に支持されていた。彼自身の頑固な性格が加味されて根回しに頼らず、正面から難局を突破しようとしたのである。また政友会の反対を排除してロンドン海軍軍縮条約を結ぶ清冽なる豪胆さも併せ持っていた。この点では、外政としては、当時の国際的評価も高かった政治家であったのだろう。海軍大臣財部彪に「唯一正道を歩まん」、「仮令玉砕すとも男子の本懐ならずや」と述べているのは、まさに浜口の清冽な倫理と豪胆な実行力を、また強烈な存在感を示すものである。料亭政治を嫌い、また根回しを回避し、断固たる姿勢で政局に臨んだ浜口は、首相として断行のできる決断の政治家の存在ではあった。
 しかしながら彼らがとった「善意」と「倫理」感から決断、断行された浜口、井上コンビの政策でもあったが、需要を減らし、旧平価による金解禁は、円高を意味することになり、輸出という外需も減らすことになり、更にデフレに陥る愚直な政策でもあった。浜口という上等な公正観に基づくこの緊縮財政策によって、昭和恐慌は、個人の倫理観から見たら正当であり善意であっても、全体のマクロから見たら間違った政策によって引き起こされたと結論することが出来るのである。30年の消費者物価は10・2パーセントもの低下を記録し、企業は大幅な人員削減と賃金の切り下げを実施することになる。失業統計はなかったので正確には分らないが失業者が増大し、少なくとも500万人であったとうと推測する歴史家(大島清著 「高橋是清」)もいる。なお、米国では失業者数1300万人、イギリス、ドイツでは各々700万人といわれていた。 
 温情主義的な経営で労使の対立が起こらなかった鐘紡ですら、大ストライキが起きる結果となった。このような深刻なデフレ不況であり、農村部では、欠食児童、婦女子の身売りが横行したえげつないほどの困窮きわまるデフレ不況となったのである。
■1931年9/18関東軍石原莞爾、板垣征四郎が「柳条湖事件」を切っ掛けに満州事変、同じく31年12月に高橋是清蔵相金輸出の再禁止。管理通貨制に移行し、是清の大胆な日銀国債引受策によって、日本経済は世界恐慌以前の経済状態に移行。マネーサプライは32年には2年続きの減少から増加に転じ、総需要も増大し、産業界も活況を取り戻した。高橋の取った政策は金輸出の再禁止と日銀の国債引き受けによる積極財政という浜口内閣とは正反対の政策であった。犬養内閣において、成長率は32年に4.4%。そして、32年5・15事件が、海軍青年将校、橘孝三郎が率いる愛嬌塾の塾生によって引き起こされ、犬養毅が暗殺。政党政治の終焉となる。犬養亡き後総理に就任した旧海軍大将、斉藤実の下、満州国の承認。33年に11.4%、34年に8.7%と劇的な成長率の回復を見せ、日本は世界に先駆けて不況からの脱出に成功する。
 これによって、浜口、井上、のコンビの内閣の金融政策は失敗であったことを理論だけではなく実証としても裏付けられるのである。一方、政治の「思想」と軍部、特に陸軍の「思想」の凄烈な戦いの結果、「政治の思想」は後退していき、岡田啓介内閣の35年国体明徴声明、そして運命の36年、青年将校約20名、その部下たち1400名に及ぶ軍事クーデター2・26事件が起きる。首相官邸で、岡田啓介が襲撃され、教育総監の渡辺錠太郎、日本のケインズであった高橋はこのクーデターの発起人である皇統派によって暗殺される。
 
 渡辺錠太郎大将は、天皇機関説に理解を示す発言をしたこと及び、皇道派将校の信奉する真崎甚三郎大将の後任として教育総監に就任したことから、皇道派による襲撃の対象となり、渡辺総監は在職中に二・二六事件で高橋太郎少尉らの指揮する歩兵第3連隊の反乱軍によって殺害される。
 なお、首相の岡田啓介は、甥と見間違われて、危うく難を逃れ、侍従長鈴木貫太郎は重傷を負ったが、回復し、終戦という難行事を成し遂げた後の総理である。
■こうした高橋の卓越した経済金融政策が、述べられていないのは、残念である。というのも、青年将校は、農村部の窮状を部下から聞くに及び、農村の貧窮に義憤を抱いたのである。経済政策の貧困が、東北の農業にも大きな影響を与えたのである。不況と30年の豊作不況、31年の凶作、不作にあえいだ農民層を解放するため、また腐敗する政治家を一掃するためにも、北一輝の「国家社会主義」の思想の下(特に磯部浅一が重要)に決起したのである。青年将校には、貧困をなくし、平等であるとする北一輝の「社会主義」の思想に共感したものも多かったのであろう。高橋是清もこの国を救おうという想いは同じであったのだろうと思う。経済の建て直しにより困窮を断ち切ろうとしたが故の日銀による国債引受政策(リフレ政策)を採ったのである。
 運命の悲劇といおうか、その83歳の高齢な高橋を攻撃対象にすることを磯部浅一は強硬に主張した。高橋は中橋基明中尉、中島莞爾中尉によって殺害される。皇道派の純潔な正義は、その方法が間違ってい他のであろうが、その精神においては、高橋是清のそれとまた一致するもがあったのだろうと思う。高橋は、政治家としては、統制、権謀術数に長けるという意味での政治家としては二流であったからだ。国を思ういう点では、他の政治家に劣ることはなかったであろう。正義からの衷心と国を思うという憂国が、まったく違った方向を向いてしい起された2・26事件は、悲劇的な事件なのである。
 ■青年将校は、3月に満州への配属される予定だった。2月は彼ら皇統派青年将校たちに残されたぎりぎりの時期であったのである。1400名の総決起する前夜の様相が、興味深く清張の人間の匂いをかぎ分ける嗅覚をもって描かれている。
 ■なお、清張は軍部ファッショとしているが、2・26事件にもまた北一輝の思想にも、その様相は全く無い。というのも、ファシズムに必要条件としてある「拡張侵略の意志」は、この皇道派の思想である北一輝の国家社会主義にも全く認められないからである。天皇による裁可を求めるという革命方法が、決定的に間違った方法であったのであって、膨張主義は同じ陸軍の統制派にこそ認められる。それ故、2・26事件後 、荒木貞夫大将、真崎甚三郎大将などが陸軍中枢から排除され、決起した皇道派は統制派によって処刑され、統制派が中枢を占めることになる。彼らの「膨張主義」と度を越した強硬姿勢と当時の新聞マスコミの煽りとそれに対する民衆の圧倒的支持によって、国家総動員へ突き進むこととなったのである。

北一輝の思想

滝村 隆一 / 勁草書房
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 大概は、ぺディアの様に「社会」という用語は使われるし、それに異論があるわけではない。 が、専門の分野では死語扱いされているのかもしれないが、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトとなる社会用語を聞いたことがある。ので、それについて通観してみるのも余技として、そして洒落としてはあってもいいだろう。ゲマインシャフトが、協同社会であり、ゲゼルシャフトが、労働の対象化、もしくは、人の活動一般としての社会であるという理解を門外漢ではあるが持っている。
 

 マルクスのとても秀逸な定義に、「人間は社会的諸関係の総体である」という言辞があるが、この種の「社会」は、ゲゼルシャフトである「社会」であるのだろう。ちなみに、このマルクスの言辞、つまり、労働の対象化を人間の活動一般をさしているのだと的確なことを述べているのは、三浦つとむ、滝村隆一、外国勢では、全体主義研究家ハンナ・アーレントぐらいが頭に浮かぶが、他にも、まだまだ、多くの研究家がいるのだろうとは思う。そこで、労働の対象化、人間の活動の関係の総体が、人間であるということに読み替えそれが社会であると読み替えることができる。

では、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの二重性が、社会であるとすれば、そこから、どのような国家観、あるいは国家論が生まれるのだろうか。「社会」をゲマインシャフトよりに重点的に見たとき、「社会」をそのように認識した場合、その国家論は、制度として社会の外にあるものとしてみるか、政府などのような機構として、社会の中にありながらも、実体的な機関として眺めたりするのではないだろうか。あるいは、「共同体」としても眺めることがあるだろう。共同体としての国家は、その共同体の外にまた、他の共同体が存在するということを前提として、成り立つことになる。これが各国のナショナリズムの原型であるのだろうかと思う。近代国家論、近代政治は、この「社会」認識の文脈で語られる。また、ジャーナリズムの追求もこの文脈で語られることに落ち着く。
 

 で、社会をゲゼルシャフトであるとの視点見るとき、そして「社会」認識をゲゼルシャフト的な関係として認識した場合には、「国家は、社会である」「社会は国家である」という北一輝、あるいは、農本主義者、権藤成卿のような社会観でもって、国家を眺めるという視点、思想を抱きやすいことになる。国家は社会足りうる社会は、階級的社会では、実現できない。また、海外の貧困なる人たちを救おうという世界主義的な思想もこのあたりの「社会」認識による社会観を根拠として生まれるではないだろうか。

 個人的には、後者の社会観から、「正当」性を求める倫理や道徳めいたものが、出来上がる社会的根拠なのではないかと思う。無論それらの観念性は、ゲマインシャフトに含めて理解すべきものだろうが、「皆さんのお陰でやって来れました」などという言辞は、後者の社会観が規範的な意志めいたものがゲマインシャフト的な社会の存立根拠がにじんでいるように思われる。

 北一輝は、ゲゼルシャフトを社会として捉えたが、この視点は秀逸ではあったが、社会をゲマインシャフトとしてみる視点を持たなかったが故に、社会は国家であるという「国家社会主義」に吸引されたのではないのだろうか、と思う。

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