菅経済財政相、「デフレ」公式に宣言
11月20日9時47分配信 読売新聞
菅経済財政相は20日午前、閣議後の記者会見で、日本経済の現状について「デフレ状況という認識だ」と述べ、商品やサービスの価格が下がり続ける「デフレ」に陥っていることを公式に表明した。
同日午後に発表される11月の月例経済報告でも、3年3か月ぶりにデフレ懸念が表明される見通しだ。
菅経済財政相は、日本銀行が同日開く金融政策決定会合にも政府代表が出席し、「政府の(デフレ)認識をぜひ伝えたい」と述べた。
と言われてもねぇ。やっていることが、デフレ加速ですから・・・・。
政府は19日午前の衆参議院運営委員会合同代表者会議で、12月2日に任期を満了する日銀政策委員会の水野温氏審議委員(50)の後任に神戸大経済経営研究所所長・教授の宮尾龍蔵氏(45)を充てる人事案を提示した。与党などの賛成多数で国会の同意を得る見通しで、宮尾氏が所長・教授を辞職する2010年3月下旬に任命する予定。任期は5年。(同意人事案の一覧など2面に) 日銀審議委員の定員は6人で、1人は空席が続いている。水野氏の退任後、宮尾氏が来春就任するまで約4カ月空くため、欠員は一時的に2人に増える可能性がある。平野博文官房長官は代表者会議で審議委員の空席のポストについて「引き続き人選をしている」と説明した。 宮尾氏は金融政策などマクロ経済学が専門。著書に「マクロ金融政策の時系列分析―政策効果の理論と実証」などがある。日銀総裁人事を巡る混乱を受けた昨年4月には「福田康夫首相、民主党双方に重い責任がある」と指摘していた。 政府はこのほか国家公安委員会委員に連合前会長の高木剛氏(66)を充てる人事案も提示した。 (11/19 14:50)日経新聞
宮尾龍蔵のマクロ金融政策の見方 アマゾンの書籍内容から引用。「日本の景気変動メカニズムをデータから精緻に検証。量的緩和やゼロ金利など、総需要サイドの金融政策によって経済が好転したというわけではなく、経済の供給サイドや構造問題に本質的要因があることを、時系列手法を駆使して浮き彫りにする。」 駄目だこりゃ。総裁の白川も強力なバックアップを得たなぁ。日本経済の新たな沈没へ出発だ!!(皮肉)こりゃあ駄目だの理由はとりあえずメモ:「デフレ:問題の概観」(スウェーデン国立銀行)で。
中小企業向け融資や住宅ローン返済猶予を金融機関に促す中小企業者等金融円滑化臨時措置法案は19日の衆院本会議に緊急上程され、20日未明、与党3党などの賛成多数で可決、参院に送付された。自民、公明、みんなの党は採決時に退席し、19日の衆院財務金融委員会での採決に続き、与党側の強行採決となった。与党は20日以降も各委員会で残る法案の採決を急ぐ方針で、与野党の攻防が一段と激しくなりそうだ。毎日新聞
金融円滑法案は、強行採決までしてする需要法案じゃないだろう。同法案で、中小企業は一時的に助かるかもしれないが、それより「恒常性」を期待できる実質金利低下に関連する事業再生策が必要。それが迂遠ではあっても、経済全般を活況化させることにつながる。そしてデフレの脱却にはつながる。亀井静香も期待倒れというか、マクロ経済音痴だよなぁ。
ローンや融資に共通に関係するのは「金利」である。金利操作をすることによって経済全体を操作するのは日本では日銀。であれば、政府側は、なんでまた、日銀に担当させないのかねぇ。06年の量的金融緩和解除、07年の日銀による強硬な金利引き上げによって景況感がかなり悪化した中小企業。リーマンショック後もかなり悪化したのだが、日銀のCP、社債購入、中堅企業も含めたと別支援オペなどの実施、政府側の緊急融資策、エコ減税、助成金などの緊急時には正当な支援によって、急激な景気減速が国内的には回避された。他国の財政刺激策も貿易産業にはプラスサムを与え、国内的な景気回復を支えたのも事実である。
金利の絡む問題は、日銀が窮乏期にある地方債の購入から健康保険、年金の基金への通貨供給など、考えられる緩和策として経済全般を俯瞰して介入しなければ、デフレ基調の早期解除は非常に難しい。そんなことは、90年代後半から教訓として政府側には与野党ともにあるはず。・・・・・。?!デフレ認識から、デフレ脱却策へ転換するのは、宮尾龍蔵などの述べている「構造」転換だけでは、効率的に転換できない。
それに、宮尾の金融政策の評価の時系列分析は、おそらく90年代を対象にしているはずで、名目の経済成長が4%程あった80年代の金融政策は対象にしていないはずである。80年代の金融政策は評価の高いのである。80年代と90年代とでは構造的違いはある。80年代より90年代の方が、護送船団方式の解体による金融の規制緩和、官省庁の統廃合、など規制緩和は90年代の方が進んでいる。そこから考えれば成長率が4%程あったのは、通貨に対する行政として金融政策は、非常にうまくやっていたし「質」の高い金融政策だったということが言える。日本銀行の政策は、90年代にさまざまな形で劣化したのである。