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小塩 隆士 / 日本評論社
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 小塩隆士の教育を経済学で考えるという意欲作。経済学はお金を扱うが、それは、それが効用を表すには、それが一番表しやすいかからである。
 教育は、崇高な理念も必要だろうが、他愛ない動機で人々は社会的選択し、動くものであるという、ことが前提にあるから経済学も成立余地があるのであだろうと思う。小塩は、経済学に対する偏見ついても、あるのが当然であるとする姿勢から、様々に考えている。

 教育は不確実なものであるという小塩自身の前提が示すように、悪戯な「経済学的」分析に終始しているわけではない。経済学部であれば、当然のモデルである新古典派成長理論モデルによる、教育と経済成長の関係の説明、また内政成長理論からの教育と経済成長の関係の説明が、それぞれされいるが、これが、経済学についての素人の筆者には、とても新鮮だった。

 前者では、教育は格差を広げるほどのものではないと結論され、後者では、教育は格差を格段と広げる成長路線となるという結論に至る。 ともあれ、教育をその範囲内で考えるにはあまりの複雑な辞退に入り込む。単純なモデルで踏まえてみるのも、興味深い結論となるということを、本著は読者に促すものになっているように思う。

 また教育バウチャーについて、小塩は、否定的である。おおよそ、経済学者は、バウチャーに賛成だろうと思っていたのだが、それが見事に覆されたと同時に、学問としての経済学の中に異論があって当然なのだろうという幅を教えてくれたのも大きな収穫だろうか。以下はその長いが引用になる。

   「以下の叙述は、バウチヤー制度に関する代表的な分析例である。エップル=ロマノ論文からヒントを得たものである。  

 いま、世の中には次の四つのタイプの子どもがいるとしよう。

タイプⅠ‥頭の出来がよく、親の所得も高い
タイプ
Ⅱ‥頭の出来はよいが、親の所得は低い
タイプⅢ‥頭の出来は悪いが、親の所得は高い
タイプⅣ‥頭の出来が悪く、親の所得も低い

 あまりに露骨な想定なので、生理的に受け付けない読者もいらっしゃるだろうが、問題の所在を明確にするためなのでしばらく辛抱していただきたい。ついでに、もう一つきわどい想定を置いてみる。すなわち、公立校は授業料が無料であり、頭の出来に関係なく誰でも入学できるが、私立校は授業料が必要であり、親の所得が高くなければ入学できないが、入学試験があるので頭の出来がよい子どもだけが入学できるとする(裏口入学はないものとする)
 したがって、バウチャー制度が導入される前は、公立校に通う子ども‥タイプⅡ、タイプⅢ、タイプⅣ 私立校に通う子ビも‥タイプⅠ という組み合わせになっている公立校に通う三人の教育費用は、四人の親が税金で支払っている。公立校に通う一人当たりの教育費用が年間一〇〇万円だとすると、親が支払う税金は、公立校の教育費用総額三〇〇万円を四人で割ることにより、一人当たり七五万円になる。政府はこの教育費負担を変更しないという条件の下で、バウチャー制度導入の是非を検討しているとする。ただし、話を簡単にするために、所得に応じてバウチャーの額を調整するといった仕組みは考えず、金額は一律であるとする。一方、消費者の効用は、①授業料を支払った後の所得水準と、②その学校の教育成果という二つの要因で決定されると仮定してみよう。公立校も私立校も教える先生の素質には違いはないが、私立校は頭の出来がよい子どもしか適わないので、良好なピア・グループ効果(第4章参照)の発揮が期待できる。右に示したような通学パターンだと、公立校の場合、頭の出来の悪いタイプⅢ、タイプⅣの子どもは、頭の出来のよいタイプⅡの子どものよい影響を受けている。しかし、タイプⅡの子どもは、あまりありがたいとは思っていないかもしれない。 
 
 バウチヤー制度導入で変わる通学パターン それでは、ここにバウチャー制度を導入してみよう。ただし、公立校に通う場合は、これまでどおり授業料が全額免除になる。そして、公立校に通う学生の教育費用もこれまで同様、社会全体で面倒をみるとしよう。したがって、バウチャーを受け取って実際にそれが意味を持つようになるのは、私立校に通って授業料を減免される場合に限定される。 
 
 まず、バウチャー制度導入が通学パターンを変えることができるかどうかを考えてみよう。タイプⅠの子どもは、もともと頭の出来もよく、親の所得も高いから、バウチャー制度の有無に関係なく、私立校に通う。タイプⅡとタイプⅣの子どもは頭の出来が悪いので、バウチャー制度が導入されても私立校の入学試験に合格できず、公立校に通い続ける。 タイプⅡの子供はどうか。彼は、これまで親の所得が低かったために、頭の出来はよいのに私立校に入学できなかった。バウチャー導入によって、彼は私立校に通えるようになるだろうか。二つのケースが考えられる。第一は、バウチャーの額が低くて、彼はこれまで同様、公立校に通うしかないという場合である。このとき、公立校は、バウチャー制度導入前から通学している三人をそのまま抱えることになり政府に総額三〇〇万円の予算を要求する。したがって、政府にはバウチヤーを人々に配布するための資金がなくなり、制度そのものが運営できなくなる。第二のケースは、タイプⅢの子どもが私立校に通う場合である。このとき、公立校にはタイプⅢとタイプⅣの子どもしか通わなくなり、公立校の教育費用総額は二人分の二〇〇万円で済むことになる。したがって政府は、親たちから受け取った税金三〇〇万円のうち、その二〇〇万円を差し引いた残りの一〇〇万円をバウチャーのための資金として利用することができる。この第二のケースの場合、私立校に通うのはタイプⅠとタイプⅢの二人の子どもだから、彼らに手渡すバウチャーは一校当たり五〇万円になる。もちろん、タイプⅢとタイプⅣにも同じ額面のバウチヤーが配付されるが、彼らはこれまで同様、授業料を必要としない公立校に通うだけなので、そのバウチャーの価値は実質的にゼロになってしまう。 
 一様でないパワチヤー制度の導入効果 さて、このように考えてくると、バウチャー制度そのものの効果はそれほどたいしたものではないことがわかる。バウチャー制度は、タイプⅢの子どもの行動を変化させただけだからである。しかし、さらに詳しく見てみると、バウチャー制度の効果は不公平な形で働いていることにも気づく。 ①授業料を支払った後の所得水準と、②その学校の教育成果という、効用を決定する二つの点に注目してそれを確認しよう (親が教育のために支払う税金は変化していないことに注意)。 まず、タイプⅠの子どもについてはどうか。彼は、額面五〇万円のバウチャーを学校(私立校)に提出することによって、それだけの授業料が減免されることになるから、導入前よりハッピーになる。新しくタイプⅢが入学してくるが、彼も頭の出来がいいので二人で勉強を競い合うという良好なピア・グループ効果が発揮される。 タイプⅢの子どもも、バウチャー制度導入によってハッピーになる。彼の効用に対しては、互いに反対方向の力が働いている。まず、バウチャーを利用できるとしても私立校に通うには授業料を支払う必要があるので、授業料が無料だったこれまでに比べると、所得面では不利になっている。しかし、私立校に通うようになると、ピア・グループ効果がプラスに働く。後者の効果が前者の効果を上回るからこそ彼は私立校に通うようになったのであり、彼の効用がバウチャー制度導入によって上昇したことは事後的に見れば明らかである。一方、タイプⅢとタイプⅣの子どもはどうか。所得面では何の変化もない。親の納める税金はいままでと同じだし、授業料も無料のままだからである。しかし、いままで一緒に勉強していた、頭の出来のよかったタイプⅢの子どもが私立校に移るわけだから、残された彼らから見るとピア・グループ効果がその分だけマイナスの方向に働くことになる。バウチャー制度導入後の学校を見ても、私立校は頭の出来のよい子どもだけを集め、公立校は出来の悪い子どもだけを集めるという、奇妙な役割分担ができあがってしまう。 以上の結果を要約しょう。
 ここで設定したような単純な、そして不愉快なモデルを前提とする限り、バウチャー制度は頭の出来のよい子どもに有利に働き、出来の悪い子どもには不利に働くというバイアスを持っている。さらに、頭のよい子どもの中で、親の所得が高い子どもほどそのメリットが大きくなるという可能性も否定できない。バウチャー制度は、すべての子どもたちを一様にハッピーにするわけではないのである。 
 もちろん、バウチャー制度を提唱する経済学者は、教育サービスの供給側である学校どうしがバウチャー収入を競って効率性を高めるという面に注目している。その効果は、ここでは一切分析されていない。したがって筆者は、バウチャー制度に対するお前の評価にはバイアスがかかっているぞという批判を甘んじて受け入れる。しかし、バウチャー制度の効果が、教育の需要側である消費者に対して一様には発揮されないという点は十分考慮しておくべきだと考える。まして、頭の出来・不出来は将来の所得格差に影響する。頭の出来のよい子どもに有利に働くという仕組みは、効率性の観点からすると是認されるが、公平性の観点からすると問題がないとはいえない。 

 3 選択の自由と拡大する格差学校選択の自由は何をもたらすか 
 バウチャー制度導入の効果を議論する場合、学校選択の自由がもたらす効果が重要なポイントとなる。しかし、バウチャー制度を導入しなくても、学校選択の自由を認めることは簡単である。そのためこれまでの議論は、学校選択の自由という側面をあまり意識しないで、バウチャー制度導入の効果を考えてきた。そこで今度は、学校選択の自由そのものがもたらす効果について考えてみよう。ここでも結論を先に述べれば、バウチャー制度と同様に、その効果は人々に一様に働くわけではない。 最近では、義務教育の段階でも子どもの通う学校を選択できる地域が一部に出てきた。義務教育ではない高校段階でも、これまで住む地域によって厳密な学区制を敷き、学校選択を大きく制限してきた自治体が、消費者の選択を認める傾向を強めている。これによって学校間の競争が活発になり、学校にも個性が出てくるという効果が一応期待されているが、実際にはどうか。 教育行政サイドではさまざまな理想や目的があろうが、親の立場からすれば、「どの学校に通わせれば受験に有利か」、「有名校の合格率が高い学校はどこか」という基準、あるいは「学級崩壊やいじめがないのはどの学校か」、「ガラの悪い子どもが通う学校は避けたい」という基準で学校を選ぶことになる。「生きる力」とか「豊かな人間性」、「個性あふれる教育」といった抽象的な概念やうたい文句は、その際あまり相手にされない。考慮されるとしても、副次的なものであろう。教育に対してどんなに口当たりのよい理想論を展開する者も、いざ自分の子どもが通う学校を選ぽうとするときには、茶髪・金髪の子どもがタバコを吸いながら通うような、とんでもない学校はやはり避けたいと思うはずである。 
 経済学から見れば、競争はつねに是認される。学校どうしが供給するサービスの質を競いあうことは、消費者にとって大きなメリットになると期待されるからである。しかし、教育の成果は、第2章でも議論したように、教師の質や経験、学級規模といった教育の質によって規定されるわけではない。その学校に通う子どもの特性が大きく作用する。つまり、教育というサービスは、学校が一方的に供給し、子どもや親が一方的に需要して完結するといったものではなく、需要者自身がその生産に参加するという興味深い特徴を持っている。したがって、学校が互いに競争すれば子どもや親がみんな幸せになる、といった単純な話ではないのである。 実際、通学する子どもたちの能力が高ければ、教師は高度な内容の授業を行うことができるし、これまでもしばしば登場したように、子どもたちの間で良好なピア・グループ効果が発揮される。はじめから優秀な子どもが入ってくるわけだから、卒業して有名校に合格する確率も高くなろう。親としては、そうした学校に子どもをぜひ通わせたいと考える。   格差拡大のメカニズム 
 それでは、学校選択の自由は何をもたらすだろうか。第5章では、初期条件がその後の経済成長を大きく規定するという内生的成長理論の考え方を紹介した。それと同様に、学校選択においても、初期条件がかなり重要なポイントとなる。学校選択が認められる前に学校間格差がまったくない場合は、人々は自分の家からの距離といったことだけを基準にして学校を選択するから、学校選択が認められた後も格差は拡大しないだろう。
  しかし、はじめから格差がまったく存在しないという状態はまず考えられない。実際、「あの学校は、けっこう学級崩壊が進んでいる」、「この学校は、有名校への合格率が高い」といった類の情報は、親の間で結構出回っているものである。親は、学校が必ずしも積極的に提供しない情報を最大限に活用して、子どもの通う学校を選ぶだろう。その場合、当初の格差がそれほど大きくなくても、少しでもいい学校に通わせようと思うのが親心だから、あるいは、そのように思う親ほど積極的に学校選択に望むから、学校間の格差は次第に拡大するものと推測される。「いい学校」 はますますよくなり、「悪い学校」 はますます悪くなる。それぞれの学校が供給する教育の質がそのように変化するのではない。通ってくる子どもの層が自動的に調整されていくのである。 
 この自律的ともいえる格差拡大メカニズムを、もう少し詳しく見ておこう。第一に、義務教育ではない高校レベルではどうか。公立高校は入学試験を実施し、点数の高い子どもから順に入学を許可する。評判のよい高校には受験生が殺到し、その中から優秀な者だけが選抜されるだろうから、ピア・グループ効果も発揮されて、そうした高校は質の高い卒業生を輩出し続けるだろう。一方、そうでない学校は低空飛行を続ける。 こうした傾向は、これまでもすでに全国各地で見られる。実際、中高一貫の私立進学校や大規模な予備校が存在しない地方都市では、県立高校の中で進学校とそうでない学校との役割分担がかなり明確になっている。筆者の勤める大学には県立のうち上位校の出身者が数多く入学してくるが、ゼミ生の話などを聞いても、公立の進学校では七時間授業も珍しくなく、三年生になると夏休みをすべて補習に充てる学校もあるそうだ。その一方で、当然ながら教育困難校や底辺校と呼ばれる高校もある。」

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