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「デブレの罠?」
 デフレ(物価下落)からの脱却は、小泉政権時代から続く、経済政策上の大きな宿題だ。

 しかし、デフレはなかなか終わりそうにない。一方、原油や穀物などの国際価格の上昇などによる食品値上げやタクシー料金の値上げが話題になっている。食品やタクシーの値上げは国民生活を苦しくするので、政府も民間の識者も賛成する様子はない。
 
 しかし、デフレ脱却とは物価の上昇のことなのだから、デフレ脱却を目標に掲げながら、タクシー料金の値上げに反対するのは、なんだかちぐはぐな印象だ。
 政府などの姿勢が首尾一貫しない原因は、デフレ脱却がなぜ必要なのかという点についてそもそも、理解が混乱していることにある。
 
 デフレの普通の見方(これはケインズ経済学にもとづく考え方)では、経済の需要が不足し、供給されたモノがあまると、値段が下がってデフレが起きると考える。デフレが続くのは、需要不足(つまり不況)が続いているという結果、ということになる。
 
 普通は、デフレは不況の結果だが、数年前から、デフレが不況の原因だという説が多くの経済学者やエコノミストから提唱された。
 政府や日本も、デフレ脱却が不況を終わらせるために必要だという認識を持つようになった。「デフレ脱却」は、不況を終わらせるために、00年代になってから政府の政策目標に入ったのだ。
 そして、デフレは需要不足と連関しているとの想定にもとづいて、日銀は、需要を刺激するために、ゼロ金利政策やその後の低金利政策を続けることになった。

 とりあえず、小林慶一郎の論を掲載しておくが、なんとも不思議なデフレ論というか、経済論である。朝日新聞社が、この方向で、日本経済の見方をしているのなら、やっぱり「新自由主義」を標榜する<右派>もしくは新<保守>主義の勢力としてみるべきだろう。ただ、防衛方法については、憲法9条主義であって、交戦権放棄の無謀な「平和」主義であって、現実的な「主義」とはいえない平和主義でしかない。「反安倍」<主義>の「左派」気取りだと説明できる。
 話がずれたが、ズレたついでに安倍総理の国家観を「自由主義」者の捕らえる国家観との対比で眺めてみたい。安倍の国家観は国家=国民であり、これによって、国家=共同体を媒介する機関のひとつして政府が存在するという共同体=国家の観念を持っている。国家=共同体という国家観は、本来、社会民主主義者によって共有される国家観である。彼らは中央集権の「国家」権力機構によって強制的に、「市場」を媒介した「競争」原理によって歪められた社会を矯正して「民主社会」を築こうとする。社会民主主義の「思想」の背景にある国家観から、どのような政策が生まれるだろうか?
 安倍が推進しようとする「イノベーション」政策、教育再生に「道徳」を国家の介入によって遂行しようとする政策。政府が推進するという国策政策から国家=共同体が「道徳」という社会性まで決定するという国策「道徳」を遂行することまで、社会民主主義の国家=共同体「思想」が背景に持つ、国策=社会民主の政策だと説明できる。安倍は、社会民主主義者なのであって、自由主義者なのではない。
 
 国家=国民、共同体は国家であるという見方を、自由主義者、新自由主義者たちはおおむね採用しない。国家=機関という「思想」を彼らは採用する。例えば、経済学者ミルトン・フリードマンは、自由主義者として知られているが・・・・

 民主党のJFケネディの就任演説では、「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.(祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい)と述べた。

 フリードマンは、前半の「祖国があなたに何をしてくれるかをたずねてはなりません」ということには同意する。というのも、「祖国があなたに何をしてくれるかをたずねてはなりません」とは、個人が祖国=政府という機関に保護を求めることを拒否するということであるからである。

 しかし、その後半には同意しない。「祖国のために何を出来るかを考えてほしい」という部分にはフリードマンは同意しない。自由主義の「個人」観では、国家に対する奉仕の観念はないのである。また、祖国は彼らにとって、祖国=共同体ではなく、祖国=機関としての国家である。
 故にフリードマンはこう述べる。「政府が方便であり、手段であって、恩恵や贈り物の授与者でもなければ、盲目的に崇拝されたり、奉仕されたりするすべき主人でもなければ神でもないと考える。」「資本主義と自由」フリードマン著より
 
 フリードマンのこの言辞が、「自由主義者」=保守主義者の中核を占めるべきである。自由主義は、自然に舞い降りるものではなく、獲得された観念でも彼にとってはあるのだろう。
 
 日本のマスコミ保守主義者達、学者達は、この中核を外しているのではないか?フランスのサルコジ大統領は「右派」とされているが、さらに突き詰めれば「自由主義者」=構造改革主義=右派=保守主義者なのではなかいのか?

 こうした社会的文脈で、安倍総理のイノベーション構想=政府が長期の先を見通し、その構想の下に国家の運営をなそうという政策、教育によって「道徳」を説くという政策、また、その基本の国家観である国家=国民という捉え方は、まったくフリードマンとの対極にある国家観であることが鮮明になるであろう。安倍の国家観は、社会民主=平等主義の説く国民観なのであって、おおよそ自由主義の説くそれらとはまったく違うのである。

 安倍は教育再生で「道徳」を説くが、そもそも「道徳」は社会権力の問題であって、政治権力の問題ではない。社会権力、実態的には、町内会、商工会議の寄り合い、村民会議、マンションの自治会、消防団、社会的犯罪を取り締まる警察、地方公共団体の多くの会議と条例の制定改廃、そしてその執行、学校教育、などなど、多岐にわたる身近な集団的権力の扱う「共通規範」の問題であり、国家が直接に扱うには、「自由主義」の思考の守備範囲には属しがたい「意志」のあり方の問題だろう。そして、その前提にあるのは、相互の扶助や相互扶養といった平等志向の意識と観念、「共同体」への奉仕意識である。それらがなければ「解決」へと向かわないことにある。
 競争的資本主義を擁護するのが「自由主義」であり、自由主義によって出来上がる市場は、効率的である。市場は、モノ・サービスの貨幣による交換がなされ、その行為は効率的であり、また豊かさを生む原動力ともなっている。が、市場は万能ではなく、市場の失敗も繰り返される。公害などが失敗の例に挙げられる。公害による被害は、政府が取り繕わなければならないが、それを政府が予め予想できるとは、自由主義者は考えない。政府も当然に失敗するのである。市場以上に、政府の産業政策などは失敗すると考えるのが「自由主義」者=保守主義者の論理的思想である。

かなり回り道をしたが、安倍総理は初めから履き違えた政治風土を持つ日本の政党政治の中にいるのであり、また、総理は経済に疎いというという風評があるが、それも小林のような「新古典派」経済風土の中にあってマクロ経済運営も理論的に考えるのは難儀なことだ。さて、話をマクロの経済に戻して述べると・・・・。小林の議論は、非常に飲み込みにくい。


 デフレ脱却は本来、不況を終わらせるために掲げられた目標だった。ところが国内総生産でみると、02年2月から景気の回復がはじまり、いざなぎ景気を超える史上最長の景気拡大が続いている。
 
 しかも、昨年末ころからは需要と供給のギャップが逆転し、需要不足ではなく、需要超過になっていることも明らかになった。つまり不況は、ほば完全に終わっているのである。にもかかわらず、いまだにデフレからの脱却宣言はできない。景気回復が5年も続いているのにデフレが終わらないというのは大きな謎というしかない。
 
 あえて現象面から理由を探すと、最大の要因は賃金上昇が起きていないことだろう。景気拡大と言っても経済成長率は低い。また、これまでの不況で労働者や労働組合の立場が弱くなったこともあり、賃金の上昇は鈍いままだ。
 
 しかし、経済成長率が低く、賃金が上がらないからデフレが続くというのは、米国経済と比較すると、説明として物足りない。米国でも、実質成長率は日本とあまり変わらない3%強なのに、3%のインフレを実現している。労働者の立場も日本以上に弱い。日米を比較すると、あまり違いがないのに、なぜ日本でデフレが沸くのか、説明がつかない。
 
 ひょっとすると、デフレが需要不足と連動するという普通の経済学の発想を転換すべきなのではないだろうか。需要不足はすでに、ほぼ解消した。なのにデフレが続いているということは、需要と供給がバランスした状態(均衡状態)でデフレが続いているということだ。
 
 均衡状態の経済において、「長期的に日銀が低金利政策を続ける」という期待が市場に広がると、その期待のためにデフレが続く可能性がある。つまり、低金利が続くという期待が、デフレを再生産するわけである。これは経済政策の実務の世界ではなじみのない話だが、経済理論の世界では、以前からその可能性が指摘されていた。
 
 経済が均衡状態になると、実質金利は資本の収益性によって決定されるから、プラスの値になる。一方で、日銀の政策によって、名目金利はゼロ近辺に抑えられている。名目金利から物価上昇率を差し引いたもの、というのが実質金利の定義である。すると、名目金利がゼロ近辺で、実質金利がプラスなら、物価上昇率はマイナスにならざるを得ない。つまりデフレは続く。
 
 デフレを脱却しようとして日銀が低金利政策を続ければ続はるほど、均衡状態の経済では、デフレを長引かせてしまうのである。
   
 このような「デフレの罠」説はケインズ経済学的な説明とはまったく違うが、均衡状態の経済を分析する新古典派経済学の立場からは必ずしも否定できない。ただその場合、経済は均衡していて不況ではないのだから、デフレを脱却する必要もない。
 
 この新しい発想に従えば、デフレ脱却のために必要な政策も、現在と正反対のものになる。現実感は乏しいが、「デフレを脱却するために金利を上げる」という政策を、ちょっとは考えてみるべきなのかもしれない。
しかも、昨年末ころからは需要と供給のギャップが逆転し、需要不足ではなく、需要超過になっていることも明らかになった。つまり不況は、ほば完全に終わっているのである。にもかかわらず、いまだにデフレからの脱却宣言はできない。景気回復が5年も続いているのにデフレが終わらないというのは大きな謎
需給が均衡しているなら、デフレまたは、インフレになると考えることは全く馬鹿げたどうでも良いことになる。需要と供給によって価格は決定されるという「経済原則」の破棄をした方が理にかなうということで、経済学の基礎から組み立てなおすべき事態だという結論になるはず。この点が、理解しかねる。

 
名目金利から物価上昇率を差し引いたもの、というのが実質金利の定義である。すると、名目金利がゼロ近辺で、実質金利がプラスなら、物価上昇率はマイナスにならざるを得ない。つまりデフレは続く。
と小林は述べるが、前段の名目金利ー物価上昇率=実質金利には同意するが、実質金利がプラスなら、物価上昇率がマイナスになるとの件には、賛成しかねる。というのも、名目金利と物価上昇率は、所与の与えられた物理的実態ある数値であり、実質金利は、期待あるいは予想上の、計算上の金利であり、投資家、などが特に頭に入れておく数値であり、観念上の数値である。言い換えると実質金利とは、名目金利と物価上昇率から、実質金利を推測できるのであって、実質金利が上昇したから、物価上昇率がマイナスにならなければならないという変数決定因子ではない。
 名目利子率は、主として金融機関が貸し出し機関として資金需要側の動向を見て決定する。また、物価上昇率(下落率)は、消費者と供給者が相対で決定される需要と供給の経済原則が貫徹して決まる。よって、「価格」が決定されているから、「均衡」状態だと現象的には見える。こうした面から確かに経済は均衡していると見ることも出来るだろう。
 
 しかし、失業率は、3.8パーセントと「構造的失業率」2%より高い、自発的失業率が高いと見ることは出来ない。これによって潜在的な需要が不足していると見ることが出来る。需要不足から脱し、「均衡」状態あると見るのは早計な判断である。

 いまだデフレの状態であるといえる指標として、名目経済成長率と実質経済成長率の対比がある。名目経済成長率からある基準年からのインフレ率を引いて実質成長率を算出する。名目経済成長率は、いまだに実質経済成長率を上回っていない。景気の回復の定義が、実質経済成長率の向上だとするなら、確かに景気の拡大とは言えるだろうが、それは、名目の経済成長率が実質の経済成長率を上回るときに、つまりインフレ時を前提とした暗黙の定義であった。デフレ時の景気回復の定義を変更してもいいように思う。

 非自発的失業率がある限り、平均賃金上昇も望めない状況が続行するだろう。にもかかわらず「均衡」状態にあるという認識は認識不足というよりある「意図」を詮索すべきだと思われる。
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