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仲正 昌樹 / 筑摩書房
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  ドイツフランクフルト学派のアドルノの「判りにくさ」の擁護とその根拠の展開。ハンナ・アーレントの「全体主義」と「人間性」の読み取りが、適度な深度で述べられている。その展開は、極度な人間性の尊重などという人権左翼好みのものではない。人間性の総体は、それが全体の縛りとなれば「全体主義」が成立するということであろう。アウシュビッツの元親衛隊員であったアイヒマンは、大悪党なイメージで語られるものとは違って、どこにでもいる平凡な役人であり、悪人の顔つきではないとするアーレントの言辞を取り上げて、悪は、ごく平凡な役人こそが、役人的根性で行うことで、成立するものであるとしている。尚、アイヒマンは、モーシェ・タヴォールという元ユダヤ囚によって逮捕された。タヴォールは、イスラエルの情報機関の職員である。■なんでも自己決定で、決めていことが出来る社会が、かえって、不自由を齎す社会になるという論理の紹介している。共同体的規制が無いところでの自己同一性を論じたりする、欺瞞の論理も暴いている。■自己決定の前提には、情報の自由が前提とされ、選択を実行するということが出来る周囲の状況が無ければならない。■自己決定するということが、決定しなければならないという強迫観念に縛られるとき、そこには「不自由」感が付きまとうことになり、自由を前提とする自己決定論が、不自由を増幅させることに繋がることにもなる。■こうした論理の展開が想定できることそのものに、仲正に「デリダ」の脱構築の実践を見ることが出来るし、またそれが仲正の秀逸さを物語るものでもあるだろう。■しかしながら、自己決定社会が理想だという議論が、その理想社会が出来たとしたら、理想の社会に違和感、なじめない社会であることも確かではあるだろうが、他律の自己決定なき社会も、共同の規範が占めつくす身分差社会もなじみにくい社会ではあるだろうと思う。他律と自律が、共存する社会が、ほぼ「理想」なのであって、それが実現しているのは、いまの日本で社会であるようないささか極論めくがそうした気がしないでもないのだが、だが何かしら、違う方向に動いているような印象もなくはない。■仲正は、また右派のいわゆる「自由主義史観」が左翼的に押し付けられた不「自然」な歴史観から「自由」であるという自由史観だという右派の主張は、かなり不自由であると批判している。自由史観の主張する国民的な自由というのは、ルソー的な「自由な自然人」のある変種である、としている。純粋な”自発的”な判断などありえないのであって、自分の文脈に引き入れて、自分の理想とするモデルを押し付けて的に提示し選択を迫らなければ、自由な主体的選択など出来ないのである。
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