クルーグマンの流動性の罠と金融緩和の意義
数学が入っているのでちょっと読むのも厳しいが、ともあれ日銀の審議委員さんにはしっかりと読み込んでもらって、自分達の金融政策が不公平に傾いているということをしっかりと認識してもらいたいものだ。が、奴らは相当に強情であり、「自説」を曲げないことが日銀の独立に通じると考えている。このような考え方は、一般には信念があるとして受けがいいのだろうが、その「自説」がデフレやインフレが、長期的に通貨供給量とその増大に対しての期待にかかっていると思っていないのだから、経済学的な「自説」の範囲に収まっていないことになる。
もっと単純化すれば、中央銀行の役割にマクロ経済の過剰なインフレとデフレを長期の視野を持ってコントロールする責任があるということを放棄しているのである。須田がインフレターゲットについてなにやら御託を日経新聞の「経済教室」で述べていたが、インフレゼロから少し上までを日銀が想定しているインフレ情勢らしい。インフレゼロは、デフレと同じ状況であるにもかかわらずにである。
小宮の門下生であり優れた研究家である須田にしてこの始末である。インフレの中身が問題で、生鮮食品とエネルギー価格を除いたコア・コアCPIは、明らかにゼロ以下であるが、コアCPIは、少し高めに出る傾向がある。どのCPIを根拠におくかによって経済認識が変わってしまうわけである。
そこで、インフレであるかどうかは、名目GDPを物価調整をした実質GDPで割ることによって引き出されるGDPデフレターも眺めてみる必要ある。しかしこれもマイナスである。名目のGDPが実質のGDPより上に無いのである。これはデフレの状況である。
日銀は、実質のデフレを目標にしているのだわな。ホント大丈夫かよ、日銀さん。蛇足でいえば、かの白川総裁も米国の経済学者たちが90年代のデフレスパイラルに陥ろうかという危機のとき、日銀にあらゆる物を買えといっていたことを捉えて、米国がゼロ金利政策に突入、そして長期に渡る経済の停滞が米国では予測される中、ざまあみろとでも言いたげな発言をそこかしこでしているらしい。様々な発言や、06年3月の「量的金融緩和」の解除、07年の二度の政策金利の引き上げは奴が首謀者である。06年の解除後、中堅企業や中小企業の景況感はかなり悪化、そして矢継ぎ早の07年の政策金利の引き上げは、平均株価にも影響を及ぼしたという見方がある。そんな奴が総裁だからよ。総裁を選んだ連中にも相当な責任がある。総裁の人事案の提出権は、自民党にあった、そして、人事同意したのは民主党である。すなわち民主党も奴を選択することにのったのである。奴は歴代の日銀総裁のなかで一番の強情な奴だろう、と思う。その点、自民党も民主党も共同正犯であるな~。
奴の場知らずの出来損ない加減は、田中秀臣のブログで読める。(田中秀臣頑張って大衆にマクロ経済学的啓発をしていってほしい!)そのエントリーの中の奴の日銀での発言や岩田と若田部の発言もリンクされている。関心のある向きにはどうぞ・・・。こんな奴と長期停滞ーーーデフレと景気の循環を伴った停滞ーーーへの陥りをしたくは無いよな、誰でもが・・・・。
参考までに白川の量的金融緩和にいたしての議論と岩田紀久男と若田部昌澄の量的緩和の議論をコピーしとく・・・・。
白川のの議論
「第2に、金融システムの安定には、流動性供給と並んで公的資本の注入が不可欠なことは先ほど述べた通りです。しかし、こうした政策対応は、金融仲介機能を改善させるものですが、危機を引き起こした根本的な問題を解決するには不十分です。
この点は、第3の論点を提起しています。問題解決のためには、民間非銀行部門で積み上がった様々な過剰の解消が必要であることは論を待ちません。しかも、銀行部門への公的資本の注入や量的緩和などを通じた潤沢な流動性供給は、非銀行部門の過剰解消の必要性自体を帳消しにするものではないことも忘れてはいけません。こうした過剰の解消が完了し、経済が持続的成長軌道に復帰するには、ある程度の時間を要することを認識しなければなりません。どの程度の時間が必要かについては、バブル期に積み上がった過剰の大きさや、バブル崩壊後に発生する危機時において、信頼の喪失によって増幅される負の相乗作用の厳しさに依存しますが、いずれにせよ、その時間は短くないということを肝に銘じる必要があります。 岩田紀久男と若田部昌澄の議論 「リフレ政策ではなかった量的緩和 リフレ政策の中心は貨幣ストックを大幅に増加させることである。日本銀行は01年3月から06年3月までいわゆる「量的緩和」を実施した。しかしこの政策で日銀が目標としたのは貨幣ストックの増加ではなく、一定の日銀当座預金残高の維持であった。よく誤解されるのだが、当座預金残高の維持だけでは市中に回る貨幣ストックは増えない。増やすためには、銀行が国債不足に陥るほど大量に、日銀が国債を買い取る必要がある。銀行が国債不足に陥れば、銀行は民間非銀行部門から国債を買って不足を補おうとする。これによって初めて、貨幣が民間の非銀行部門に供給される。
しかし、当時の国債発行額に占める日銀の国債購入増の比率は、量的緩和開始当初の01年こそ67%と高かったものの、03年以降は18%、3%、10%にとどまった。そのため、貨幣ストックは5年間で11%しか増えなかった。要するに「量的緩和」はリフレ政策ではなかったのだ。」