財源不足は確かにそういった事態にある。だがその主原因をどこに求めるべきかについてはほとんどメディアには見当たらない。その議論がコラムにあっても、社説に書き上げられるような主流の説にはなっていない。財源不足を唱える一種の宗教イデオロギーに近いものがある。
デフレの脱却がなければ、本格的な景気の回復、名目の経済が実質の経済を超えた景気回復は望めない。名目の経済成長は、政府の収入を増やすことになるから、それを目標に置くのが政府の仕事である。政府の借金である、国債の引き受けを、中央銀行がファイナンスすることで、さらに国債の流通利回りである利率が下がることになる。国債の発行がしやすくなるということである。
このような中央銀行の本格的な政策対応がなければ、自民が政権をとろうが、また民主が政権をとろうが、国内的には、いずれは本格的景気回復、国民所得≒平均賃金の減少、雇用情勢の悪化は避けられない。唯一、期待できるのは、海外諸国の景気回復による総需要の回復、新興国の景気回復を気長に待つという国内的には無策に等しくとも、海外の回復に期待した姿勢である。
郵政民営化がここにきて頓挫しているかのようで、このまま行けば民営化は中に難しいものになっている情勢も、本格的景気回復を遅らせた中央銀行の06年の量的金融緩和の解除、07年の利上げ、そしてサブプライムショックによる実体経済の需要減による国内景気減速に主原因がある。改革は、長期停滞期に行われるべきではない。中曽根の国鉄民営化、電電公社からNTTへ、などの民営化はなぜ成功したのかを考えれば、それは明瞭に理解される。今日より、中曽根の期の経済は、まだ上向きであったのである。民と官の関係を変更するには、政治側の強い意志ももちろん必要だが、それ以上に経済が良好であることが、一般の想像以上に必要であることは、93年以降の日本経済と「改革」を見れば分かることである。
郵政見直しが招く大損害 竹中平蔵(慶應義塾大学教授) が、述べられおられる。が、どうもね~。納得がいきがたいのだが・・・・。主原因が、抜けていると思うが・・・・。
平藏先生の中央銀行に対する批判は大いに歓迎するし、この人が国務大臣であったおかげでマクロ経済を学習して見るということが庶民にもおきたとはいえると思う。