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気まぐれファンのたわごと

中日阪神に勝つ

 中日、山本昌の好投で、勝利。今日は写真付き。!!!!
 よく投げたよ、山本は・・・・。負けられない重圧がある緊迫した試合で、しかも、あの甲子園の地響きがすると言われる声援の中で、自分の投球が出来るなんて、驚異的でさえある。しかも、昨日エースで、やっとエースらしくなってきた川上の敗北後の試合は、並みの選手なら痙攣して怖気づくぐらいのゲームだ。あいつを見直したよ。

 大事なのは、今日の試合だな。阪神の先発は安藤だろうか。安藤には、中日打線はそれほど今年分が良くない。去年の阪神との0、5ゲーム差の接戦で、延長まで縺れ込んだ試合があった。2死満塁で、渡辺が討ち取られた。その後、中日の失速と阪神は復活し、ペナントを中日が逃した因縁のゲーム、あるいは、振り返れば、あの試合のあの瞬間で決まったといえるゲームを決めたのが安藤投手だ。
 

 中日は、中田か、朝倉か、中田の方が、精神力があるだろうから、中田の方がベストだろうか。川上が、志願登板でもしないかな、このままでは、引き下がれる気にはならないだろう、あいつも。

 

 

 

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 気まぐれファンのぼやき

 阪神との天王山の初戦、4対0で負け。エース川上を立てての敗北は、幾重にもその重みが重なる。
 で、トンデモな落合とか言う監督の試合後のコメントは

「連勝が止まり、2ゲーム差まで詰め寄られた落合監督は「ゲーム差はまるっきり関係ない。別にこっちにとってはたいして意味のあるゲームではなかった」と話した。」

とのことで、このお方、勝負観や選手の闘う姿勢や掻き立てる言動無く、ずれているとしかいえない。たいした意味のある試合ではなかったというのなら、たいした意味のあるゲームって一体何よ、とたずね返したい。どんな組織でも、立てる目標を高めに設定して、それに限りなく努力してみて、やっと目標より下回るが、満足は出来るラインにまで持っていくものである。初めからの目標=満足のいく到達点という恒等式では、無く、不等式を説くようなものであるべき、彼にはこの発想が奇異に思えるのかもしれない。

 

 しかも負け方が、拙い。代打今岡に、2死からの二塁打で追加点。藤川に福留が見逃し三振でジ・エンド。
 
 落合は、選手、特に野手を育て上げ完成品にすることは確かに旨い。例えば、荒木、井端、は十二球団のうちでも随一かもしれないほどに育てた。英智 、高橋などは、落合が作ったとして十分な評価ができる。が、本来の監督業では、やはりしっくりとそぐわないものがある。優勝を狙えるところまできながら、それをもの出来ないあるいは、その後展開を自分達のものに出来ず喘ぐのは、何かが欠落しているのだと思わざるを得ないのだ。

 まぁ、いいかぁ、明日だ。明日の試合だ。中日の優勝は想像以上に困難となってしまった今日、そう思うしかないのだろう。

 

 対横浜戦、中盤大逆転されての、終盤に中日側の再逆転劇で、9対8で辛勝。ひやひやさせるのが、趣味なんでしょうか、中日は・・・・。あるいは、ファンというものは、このひやひやという感情を自己言及的に求めるものという意味で、ファンとして存在できるのでありましょうか?!となれば、ひやひやさせてくれるファンの対象というのは、ファンにとって無くてはならない、存在の仕方なのでありましょうか?!
 横浜戦は縺れて試合時間が長くなる傾向があるから、それも覚悟していましたが、選手たちが総力で臨んでいるようで、それがうれしくもあります。

 明日が、甲子園に乗り込んでの3連戦。結果はどうあれ、全力で闘って、納得のいくゲームを期待します。
 

 阪神は、9月の勝敗は17試合14勝で勝率8割2歩3厘。残りの試合数が11。このペースで阪神が試合を続ければ、11×0.823で、9.052の勝数となる。

 中日が、19試合11勝の5割7分8厘。残り試合数が16。このペースで中日が試合を続けるとすれば、16×0.578で9.248の勝数。
 

 まあ、適当に丸めて勝数を考えると両者とも9勝することになる。で、セリーグのペナントは、勝率で決まるということだから、両チームとも9月27日の時点で76勝だから、まったく同率という数字になる。どちらが有利だとはいえない状況なのである。有利であることと優勢であることはまったく違う。優勢なのは、明らかに阪神であって、それはこの驚異的な9月の勝率に支えられる。なんといっても、「絶対負けられない試合」でのこの勝率なのであり、また選手達の意気込みと緊張が、疲れを引きずらないことに通じると思う。

 中日阪神戦が、9月29、30、10月1日と最後の3連戦が甲子園球場で開催される、この3連戦を先の数字には含めていないので 同率ということが言えたわけである。
 

 甲子園での阪神中日戦は、8月から考えると、それより以前の勝敗は、今現在のチームの勢いや状態を表すわけでは無いから除外するが、8月2勝1分けである。そして甲子園では、阪神は強い。おそらく悪くても、9月29、30、10月1日の中日戦では、2勝は堅いであろう。というのは、監督の姿勢の違いがある。落合は、有利と優勢の区別が出来ないのではないかと思える言動をする・・・・。それが、選手の意気込みとギャップを齎す、チーム全体の結束を優先すべきときも、あるいは、選手を駆り立て、盛り上げる言動を放棄してしまう監督なのである。
 

 阪神の甲子園での試合は、残り11試合のうち5試合が甲子園。9月の驚異的な勝率を10月まで維持するのは、決して不可能ではない。対戦相手が、広島、ヤクルト、巨人である。広島は、阪神のかもである。おそらく広島との残り3試合は全て勝てるであろう。(今日、明日の試合次第だ)巨人との戦いは、甲子園での2試合であるから、勝てないことは無い。問題は、神宮でのヤクルト戦である。
 

 中日は、残り16試合で、6試合がナゴヤドーム。あとは、遠征を含めた10試合がある。中日が負け越している勝てない広島戦が、ナゴヤドームでの4試合、広島での最終戦の1試合の合計5試合残っている。さらに、現対戦相手の横浜戦が、これまた5試合残っている。横浜で2試合、名古屋で、あと3試合である。8月からの対横浜戦成績が5勝5敗である。中日にとって、この横浜戦を全勝で乗り切ることが、次期、阪神戦を「天王山」とする最低条件となる。贔屓目で見ても、5分と5分だな。
 

 さあてと、今日の試合はどうなるか、そして明日の試合は・・・・。これからの一戦一戦の勝敗によって、決まるだろう、ファンにとっては、しんどい展開だなぁ。

 平等主義の観点、立場からすると私的な領域は別として、社会全体にかかわる領域おいては、個人や民間の「自由」が制限されるものになる。だから、平等主義は、ある意味で、自由を制限することを時には積極的に肯定する思潮、思想だということにもなるのである。
 国家が個人の幸福を追求するための手段に過ぎないのであれば、愛国心など不要である。しかし、国民の間に社会的連帯を求めるあれば、何らかの形で「愛国心」もしくは「公共心」を前提としなければならない。愛国心、公共心の重視は、特に右翼的な主張でもなんでもないのであり、また軍国主義に直結する思想でもなんでもないのである。
 民主主義が自由主義から解放され、国家的支配に対する個人の自由という「自由主義」ではなく、国家的支配に各個人が参加することが求められるようになったとき、社会民主主義的な愛国心が登場するのである。
 すなわち歴史的な、また、歴史論理的な「展開」で考えれば、社会的連帯という観念は、個人が身分から解放され、社会がギルドなどの組織から解放されるという「自由」を獲得した後に、取得されるべき「思想」となる。また、「自由」が私的な領域で、さまざまと生きるときに、社会が、個人にとってどのような存在であるべきかという自問した結果が、「社会的連帯」という最終形態の観念を得るわけだ。行き過ぎた自由による弱肉強食社会の是正の背景にある観念、又は意識が、社会的連帯の中核となるべきなのである。

  中日勝てないなぁ。昨日も、負けたぁ、(-_-;)。優勝するときの勢いが感じられないのだな。点が取れないのはなぜだろう。ヤクルトのゴンザレス投手には、これで3連敗である。なんとも、策が無いのだろうか?ボールを多投させるための泥臭い策とか、攻撃陣にそういった粘り腰が垣間見えない。次には相手を打ち負かしてやるという意思が見えない。
 通常、ペナントを制しようとするチームには、日替わりヒーローの登場、驚異的な逆転劇、終盤での熾烈な追い込み劇、監督の思い切った采配がきっちりと終盤で決まるとかを演じるものである。だが、今期の中日はそれが無い時期が、以上に長く続く、極めて静かなゲーム運びで終始している印象が強い。
 追い込みより、逃げ切りがいいとする監督の姿勢が、そのまま、チームカラー、戦い方の基調にさえなってしまっている。結果がどうあれ、熱気無く淡々と終息すのだろうか?

「自由」を中核とする日本的護憲社会民主主義ではなく、「平等の思考を中核とする社会民主主義は、「国家的支配からの自由=民主主義」という、単純な「自由主義」的図式から離脱する契機を見出すことができるのである。ともあれ、その中身を具体的に抜粋。
  前文2
フランス共和国は、民主的であり、一つにして不可分である。
  前文5
共和国は、自国民の尊重を求めるのと同様に、あらゆる外国民を尊重し、征服を目的とした一切の戦争を企てることはなく、自らの軍事力をいかなる民族の自由に対しても決して用いることはない
  前文6
相互的な諸義務は、市民を共和国に対して拘束し、共和国を市民に対して拘束するものである。
 
 すべての市民は、祖国を愛し、共和国に奉仕しそれを命懸けで守り、その財産に応じて国家の経費を担う義務がある(中略)すべての市民は、博愛に基づいてお互いに助け合いながら、共同の幸福に寄与する義務がある…・・・。
 
    前文8
 共和国は、市民を、人物、宗教、家族、財産、労働において保護する義務があり、不可欠な教育をすべての人間の手の届くようにする義務がある共和国は困窮した市民の生活を、博愛的援助によって保障する義務がある・・・・・。
 
 もちろん、以上のような文言は、1948年当時の理想を並ぺたものにすぎないのであろう。周知のとおり、その後のフランス社会の現実は、この憲法の理想どおりではなかった。それでも、自分たちが何を望み、どこを目指し、どのような社会を選択したいのかを考えるならば、1948年憲法の精神は、今でも再検討に。値する。何を理想とするのかを抜きにしては、自分たちが進むべき方向を選択することなどできないからである。
  いかに、日本国憲法の「自由」から程遠い、国家と市民、国民の相互義務が定義されているかわかるだろう。祖国愛も、自衛を前提とした軍事力の行使を予め想定した侵略戦争の放棄が、明記してあるのである。
 フランスは、周知のように、自由主義の国ではなく、社会民主主義の強い国であり、高福祉高負担の国である。教育費は、ほとんど無料である。国立のスポーツセンター、国立の美術館、国営のルノーなどの企業、などなど・・・・。国立の諸施設が多い根拠は、中央集権的政府の国民に対する社会主義的思想に基づく公共性の観念による義務があるだろう。格差社会の格差を可能な限り小さくするという社会民主主義の政党が政権を担うだけの得票ができる状態があることが大きい。
 つまり、権力政治について、利己主義に基づく「自由主義」による国家への参加の拒否するのではなく、また、イデオロギーとして「自由主義」の方が、自らの社会的地位や立場が確保できるという国家参加ではなく、社会が<われわれ>のものであるという「連帯」の観念による権力を社会に奉仕させるという参加があるのだろう。
 そうであるなら、経済的平等を目論む社会民主主義の思潮に、祖国愛と自衛の軍の配備、そして平等を作るための不必要な「自由」は出来る限り排除され、必要不可欠の「自由」が繰り込まれなければならない、といえるのではなかろうか。
  そんな仏国であっても、「理想」の国家ではない、平等は腐敗も呼び込む社会を作ることにもなるのである。出来れば、次回は、この点を考えたい。
 まずは最初の記事、ちょっと硬く行きます、今日は・・・。
 政治性は、民主主義(単純化すれば、話し合いと議論による形式で共通に意志の決定と決定された意思の執行。どこの集団でもなされていること)を媒介に自由主義と平等主義的思考に分けられる。多数の政党が分立していても、二大政党性はあるのであり、おおむね自由主義と平等主義に分けて考えることが出来る。 米国では、共和党が自由主義、民主党が平等主義。ただし、米国の民主党は、リベラルというが、それは宗教についてのリベラルであって、政治の思想としては、社会民主主義という平等性を軸にしているに過ぎないので、リベラルが、社会民主主義という平等性の思想であると考えるのは、かなりずれている。
 そして、日本国憲法は、自由主義の影響、自由への希求が強く幸福追求権を主として媒介に「自由主義」が満載の憲法である。平等主義的憲法では無いのである。したがって、護憲は、「自由主義」を標榜する自由主義政党がなす政策である。自由民主党は、小泉総理よって、自由主義へ大きく回転したのであって、自民党がぶっ壊れたのではない。自民党内の社会主義的勢力、平等主義的勢力を郵政民営化「選挙」によって、放逐し、「自由主義」への政党となったと大前提で見るべき。その自由主義を支えるのは、コアの部分では、「新中間層」のインテリ群であって、他ではない。それに付随して、選挙戦略は、参議院議員の世耕氏を中心にメディアを周到に使った「洗練」された戦略があり、若年群の比較的インテリ度の高い群、層が「自由」への参加を決定し、支持しているのだと思われる。 
 政治性の特に選挙でのあり方を見るに、これからは、コアの中核にある「思想」は何で、その周辺はどういった様相を示し、周辺と中核の間のグレイゾーン中間事項はどのようにあるのかを見ていくべき段階にきたと思われる。
 で、もどって、護憲の思想は、奇妙なことに日本では社会民主系の政党によって唱えられる。彼らは、9条に「平和」を見ており、またそれによって、「平和」が守られてきたと信じている。だが、平和は、日米安全保障の米軍の実効支配と防御によって守られてきた側面が強いのではないか。憲法9条は、自衛隊のあり方を規定した条項であって、それによって、海外派遣について抑制されたものになってきたのも事実である。米国占領政策によって、日本の暴発を防ぐ占領政策のひとつであったのである。まだこの辺は検討すべき事項であるから、意見が変ることもあるだろうが、ともあれ、「平和」憲法を、実質平和憲法にする社会民主主義政党からの憲法的提案はあまり見かけないが、実質平和憲法に向かわせるなら、フランスの憲法のように「侵略戦争の放棄」を明示すると伴に、自衛戦争だったという「過去」の弁明による正当化を防ぐ意味で、領土拡張の戦争の放棄と同時に自衛はすると憲法的意志を明示するべきだろう。社会民主主義と護憲は決して同位相に成立するわけではない。
 話が散漫になってきたが、結論だけをメモると護憲=社会民主主義=ノット愛国では、まったく無いのが、特に欧州の実体である。また後日、気が向いたらメモることにする。
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